女性管理職比率3割。創業90年の老舗・吉村の“準備万全を待たない”登用
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創業93年の老舗パッケージメーカー、株式会社吉村では現在、管理職の3割を女性が占めています。変化を生んだのは組織構造への介入と経営の覚悟。その歩みを経営者目線、そして現場を率いる管理職目線の双方から伺いました。
- 橋本 久美子さん
株式会社吉村 代表取締役会長
1982年、祖父が1932年に創業した家業の吉村に入社。1986年に出産を機に退社し、2000年に復帰。2005年11月に3代目となる代表取締役社長に就任。社内改革を推進し、ダイバーシティ経営企業100選などに選ばれている。
- 原田直子さん
株式会社吉村 クリエイティブデザイン部 次長
デザイン系の短大卒業後吉村にパートナースタッフ(派遣)経由で入社。現在勤続年数17年目。2017年にデザイナーが営業部からクリエイティブデザイン部に独立する際に橋本からマネジメントに任命され、“イヤイヤ期”を経て試行錯誤しながら今に至る。
女性管理職の「なれない」と「なりたがらない」を生む構造
人手不足が深刻化するなか、女性管理職の育成は多くの企業にとって避けられないテーマになっています。企業が挙げる課題として上位に並ぶのは「女性の昇進意欲がない」「十分な経験をもった女性が不足している」「登用要件を満たせる女性が少ない」といった声。意欲や経験の不足が、共通のハードルとして認識されている傾向が伺えます。
(参考)女性活躍推進に関する定量調査 - パーソル総合研究所
(参考)人事白書2025 - 日本の人事部
なぜ、こうした状況が生まれるのでしょうか。SmartHR Mag.編集部が、女性のキャリア形成を長年研究してきた関西学院大学の大内章子教授とともに深掘りしたところ、浮かび上がったのは個人の意欲以前に存在する4つの構造的要因でした。

(1)遅い選抜が生む「管理職候補期」と「育児期」の重なり
日本の多くの企業では選抜のタイミングが遅く、係長・課長へと昇進する時期が、第1子出生時の平均年齢(31.0歳)を含む育児のピークと重なっています。キャリアの重要な時期と私生活の多忙期が重なることで、育成の機会を得づらい構造があります。
(2)家事・育児は女性が担うものという社会規範
家庭内での家事・育児負担が今なお女性に偏っている現状があります。職場においても上司が「女性は大変だろう」と配慮するあまり挑戦的な仕事を控えてしまう「統計的差別(善意のバイアス)」を生み、結果として女性から成長機会を奪っています。
(3)時短勤務が不利になる評価の文化
「成果評価」を掲げつつも、数値化しにくい職種では「労働時間」が評価の代替指標になりがち。時間制約のある時短勤務者が正当に評価されにくい文化が、キャリアアップの壁となっています。
(4)上記の積み重ねによる自信のなさ
(1)~(3)の「なれない」構造が積み重なることで次第に自信が失われ、結果として「なりたがらない」状態へとつながっていくと考えられます。
こうした構造的な育成機会の喪失は、キャリアのステップを登るための「壊れたはしご(broken rung)」に例えられます。
係長・課長に昇進すべきタイミングで、周囲の過度な配慮によって仕事の難易度を落とされてしまうと、その女性は数年後に本来積むべきだった経験を欠き、適切なスキルを身につけられない状態になります。その段階でいきなり「次の役職に」と打診されても、不安で踏み出せないのは当然です。
「自信がない」のは個人の性格の問題ではなく、はしごが途中で壊れているために、登るために必要な経験が積めていないことに原因があるのです。
女性管理職3割超え。多様な人材が活躍する企業は何を変えたのか?
では、自社の壊れたはしごにどう気づき、どう直していけばいいのでしょうか。株式会社吉村では「比率向上」そのものを目的に置くのではなく、事業と社員の成長を見据えて、多様な人材が活躍できる環境づくりを進めてきました。
その結果として、女性管理職比率は現在、3割を超えています。組織全体でみると、2017年は5名だった女性管理職が17名へ、その手前の候補層である主任や課長補佐も2名から40名へと大幅に増加しました。取り組みのなかでは、当初「個性の強いデザイナー同士をまとめるのは難しい」と感じていたデザイナーが、チームを率いることに手応えを感じるようになるなど、数字以上の確かな変化が生まれています。
今回は代表取締役会長の橋本久美子さん、クリエイティブデザイン部門で管理職を務める原田直子さんに、組織や個人の変容のプロセスを振り返ってもらいました。
「ピンクカラージョブ」との出会いと、社内に見えた役割分担
女性管理職の登用や育成に本格的に取り組むことになった背景を教えてください。
橋本さん
出発点は、性別に限らず「私なんて無理」と思っている社員に「やってみたら景色が変わるよ」と伝えたい、という想いでした。私自身、もともとは専業主婦で「家族のために生きるのが幸せだ」と無意識に思い込んでいました。けれど、いざ社長になって「自分の名前」で戦ってみたら、大変なことも含めて生きる景色がガラリと変わるほど面白かったんです。
ですから、当初は「女性活躍推進をやろう」といった意識はなく、あくまで「一人ひとりの社員がより仕事にやりがいを感じられ、活躍できる環境を整えたい」という経営者としての動機だけでした。
前回のインタビューでは「ピンクカラージョブ」という概念との出会いも、大きな転機と伺いました。
橋本さん
中小企業同友会で、初めてその言葉を聞きました。保育士や介護職、事務職など、女性が多く従事していて社会的な評価や賃金が相対的に低い職種のことを指す言葉です。そもそも家政婦・秘書・看護婦のような「クライアントを黒子として支える」職種が多かったことに由来します。
それを知ったとき、怒りよりも「なるほど」と腑に落ちる感覚がありました。私自身も社長になる前は、ずっと「誰かのサポート役でいることが幸せ」と思い込んで生きてきたからです。
その視点でふと社内に目を向けたとき、愕然としました。「家庭内での無意識の役割分担が、そのまま組織のなかで再現されている」と気づいたんです。当時、6か所ほどあった営業所の所長は全員が男性で、営業所をサポートするデザイナーや販売サポートなど、女性の多い部署が営業を支える構造でした。
それまでも女性の働きやすさを整える制度はつくってきましたが、「誰が誰のもとについて、どういう力関係で働くか」という根本的な構造には手をつけていなかった。「この構造こそがリーダーへの意欲や主体性を奪っている原因だったんだ」と、それまでバラバラに抱いていた違和感が一本の線でつながった感覚でした。
その後、すぐデザイナーと販売サポートを営業所から独立させ、横断的な部署をつくろうと決め、取締役会で提案しました。加えて、経営会議にも若手や女性を含む多様な社員が当番制で参加する仕組みを考案しました。いずれも私がすぐに「やりたい!」と宣言しましたから、最初は皆、驚いたと思いますね。

働きやすさの整備の詳細は過去記事をご覧ください
吉村の実践に学ぶ「壊れたはしご」を直すポイント(1)
サポート役に固定されがちな職種を独立した組織に再編し、女性が「サポート役」から「主体者」へと変わる構造をつくる。
「憤り」を「戦略」に翻訳する、経営者としての意思決定
橋本さんご自身の経験を踏まえた直感が、迅速なアクションにつながったのですね。
橋本さん
そうですね。ここは一定のトップダウンで進めました。
ただ、取締役会への提案では、あくまで事業上のメリットを根拠にしました。デザイン部門や販売サポートを独立させれば、拠点間の知見が共有され、組織が活性化する。その結果としてデザイン採用率や顧客サービスにも良い影響があるのではないか、と。そうした経営上の合理性を示すことで、取締役たちも異論なく賛成してくれました。
もちろん、私の根底には「女性が自分の可能性に気づかないまま、経験を積めずにキャリアを終えてしまうこと」への強い憤りがあります。ですが、状況を確実に変えるためには、まずは経営者として一刻も早く組織設計に手を入れなければならない。そのために、もっとも実効性の高い手段を選んだと捉えています。
今回はデザイン部門で働いていらっしゃった原田さんにも同席いただいています。部署が独立する前、デザイナーの仕事はどういう状況だったんですか?
原田さん
各営業所で完全に孤立していました。他の拠点のデザイナーがどのような仕事をしているかも知らず、協力し合う発想もあまりない。「個」として仕事をこなしている状態でした。
橋本さん
各営業所にデザイナーが2人ずつ所属し、営業所長の方針のもと、営業担当者から渡されたパッケージのデザインを指示どおりに制作するのが主な役割でした。当時は営業所を超えた横のつながりもなく、依頼された仕事に対してプロフェッショナルとしてベストを尽くすことが重要でした。
そうした環境では個人の資質と関係なく、アイデアを出しあったり生産性向上を提案するような主体性は生まれようがなかったのだと思います。経営としては、組織を独立させることで、現場からそうした提案が生まれることも期待していました。
吉村の実践に学ぶ「壊れたはしご」を直すポイント(2)
採用率の向上や業務標準化といった「事業の利益」に直結する組織設計として定義し、経営戦略として納得感のある説明をつくしたうえで、トップダウンで進める。
「絶対無理」を「やってみる」へ。失敗の責任を引き受ける覚悟
その後、各営業所のデザイナーを束ねるクリエイティブデザイン部を設立、リーダーを原田さんに打診されたそうですね。どういう状況でしたか?
橋本さん
原田さんは、当時から職人気質の腕の確かな実力者でした。マネジメントには興味がないだろうとは思っていましたが、私のなかでは彼女しかいないと決めていたんです。
同時に「引き受けるくらいなら会社を辞めると言われるかもしれない」という恐れもありました。打診したのは飛行場の近くの営業所だったのですが、あまりに必死で、外を飛ぶ飛行機の音を今でも鮮明に覚えているくらいです。もし彼女が会社を辞めると言ったら、この組織改革そのものを諦めよう。そんな切り札を持ちながら必死で目指す組織像を説明しました。
原田さん
私もよく覚えています(笑)。最初は即座に「絶対無理です」とお伝えしました。
そこまで強く拒否された理由はなんだったのでしょうか?
原田さん
当時は各拠点で孤立して仕事をしていたので、デザイナー間に信頼関係がまったくありませんでした。そのうえ一人ひとり感性が鋭く、個性も豊かです。「こんな人たちをまとめるなんて絶対無理。私が病んでしまいます、それでもいいんですか?」という心境でした。
最終的に引き受けられた決め手は何だったのですか。
原田さん
橋本の「とりあえずやってみて、ダメだったらそのとき考えよう」という言葉を信じてみようと思いました。「どうしてもダメだと言ったら、なんとかしてくださいよ」という思いで引き受けたのが本音です。
橋本さん
私自身、何が起こるか全然わかっていませんでした。具体的な施策案を完璧にもっていたわけではない。ただ「今よりは絶対に良くなる可能性がある」という期待がありました。そこから一緒に走り出していった感覚ですね。
吉村の実践に学ぶ「壊れたはしご」を直すポイント(3)
経験が質を高めるため、本人の自信や準備が整うのを待たずにチャンスを渡す。「ダメなら一緒に考える」という心理的安全性を築く。
新任リーダー・原田さんが取り組んだ理念づくりと「得意不得意」
リーダーになって、最初に取り組んだことは何でしたか?
原田さん
クリエイティブデザイン部の「部署理念」を策定しました。会社全体の経営理念はあるのですが、自分たちの仕事とどう結びつくのかイメージしづらく、判断基準としてあまり機能していなかったからです。
また、当時は各拠点で孤立して仕事をしていたので、他のメンバーがどんな業務をどんな思いでやっているのか互いに知らない状態でした。まずは「自分たちが提供すべき成果は何なのか」を言語化し、互いの理解を深める場所が必要だと思ったんです。
私がまずたたき台を用意して全員から意見を募りました。何度も言葉を磨き、時には日頃の業務を離れて議論できる土曜日に集まることもありました。
理念で「出すべき価値」を揃えた後、どのような取り組みを進めましたか?
原田さん
メンバー全員との個別面談です。1人あたり3時間ほどかけました。当時はお互いの業務内容がみえていなかったですし、目標設定が本人の成長にどう接続するのか、すり合わせが皆無に近かったんです。「成果を出すための目標」を明確にし、一人ひとりの業務への理解を深める。この地道な対話が主体性の土台になると考え、向き合いました。
私自身もリーダーとしての知識や経験がまったくなかったので、管理職に関わる社外の研修を片っ端から受講し、とにかく「対話」の経験値を積むことに集中しました。
理念づくりや面談を通じた「目標設定」のあとに、具体的に取り組んだ施策はありますか?
原田さん
理念を掲げ、一人ひとりと時間をかけて面談しましたが、実際にそれをどう日々の業務で体現していくかという点では、まだ試行錯誤の状態でした。
とくに研修や対話を重ねるなかで、自分たちが掲げた理念のなかに「チームで感動を生み出す」とあるのに「結局、各メンバーが必死に抱え込んでいる」現実とのギャップに直面したんです。
そのギャップを埋め、みんなで協力して成果を出すための具体的な仕組みとして導入したのが、「得意不得意表」の共有です。デザイナーはそれぞれ専門性も得意分野もまったく異なります。そこで、各自が得意なことに「◯」、苦手なことに「×」をつけてデザイン会議で共有し合うという、シンプルな仕組みをつくりました。
その施策を動かしてみた結果、どのような変化を感じましたか?
原田さん
誰に何を頼めばいいかが一目でわかるようになり、自然と協力し合う体制ができました。以前は一人で案件を抱え込んでしまうメンバーもいましたが、今はチームで役割分担をして、効率的に質を高められるようになりました。
何より私自身の変化が大きかったです。リーダーとして一人で完璧にこなす必要はないんだ。得意な人に得意なものを頼めばいいんだと、仕組みを通じて心から思えるようになりました。チームを信じて任せられるようになったことで、心理的安全性が高まり、重圧からも解放されました。
橋本さん
何かにぶち当たってから「実はこれ苦手なんです」と出てくるよりも、最初からわかっている方がずっといいですよね。デザイナーさんたちのように感性が豊かで、一筋縄ではいかない人たちが集まっていても、この仕組みがあればお互いに協力し合える。
それぞれの専門性を組み合わせて大きな成果を出すための仕組みだと思っています。今年の経営計画書(※)には、全社員がこの「得意不得意」を書く欄を設けることにしたくらいです。

※株式会社吉村が配布する資料。経営理念・個人目標・1年分の社内カレンダー等が載った経営計画書。全社員1人1冊持っているそう
吉村の実践に学ぶ「壊れたはしご」を直すポイント(4)
「得意不得意」を可視化し、一人で抱え込まずにチームの専門性を組み合わせる仕組みをつくる。これがリーダー自身の負担軽減と自信にもつながる。
当番制と匿名意見。「忖度の生まれない会議」をどう設計したか
組織構造を変えるだけでなく、意思決定の場そのものにも踏み込んだ工夫をされているそうですね。
橋本さん
はい、経営会議が男性中心のままでは、いくら女性を登用しても意思決定の場で壁を感じてしまうだろうと思い、会議体設計を根本から見直しました。
まず、もともと24人いた経営会議の必須参加者を二人一組の当番制の参加にして、残った12人の枠に、今まで意思決定の場に参画してこなかった若手や女性社員が、こちらも二人一組での当番で出席する仕組みにしました。
会議では忖度をせず意見を言いやすい形式にもこだわりました。議題によっては4、5人以下のグループに分ける、あるいはスプレッドシートに匿名で意見を書き込む形式をとります。誰が言ったかではなく「何が言われているか」に集中してほしいからです。
参加した方の反応や変化はいかがですか?
橋本さん
新規参加者には冒頭と最後に20秒で今の気持ちを共有してもらうんです。そうすると最初は声が震えていて、やっぱりぎこちなくなるんです。でも皆、会議を終える頃には笑顔が出てくるし、「面白かった」と言ってくる。だからこそ、やっぱり経験させることが大事だと思っています。
原田さんは初めて経営会議に参加された際、どのような感覚でしたか?
原田さん
最初はもう、緊張しすぎて下書きがないと一言も喋れないほどピリピリしていました。でも、自分の意見が実際の決定事項に少しでも反映されているのを見ると、「自分の発言が会社の動きにつながっているんだ」という手応えを感じられたんです。こうした経験の積み重ねが、少しずつ「面白さ」に変わっていきました。
吉村の実践に学ぶ「壊れたはしご」を直すポイント(5)
匿名ツールや発言時間の設計など、職位や属性による「忖度」が生まれない会議の仕組みを導入し、意思決定の経験を積ませる。
「大丈夫になったらやろう」で、壊れたはしごは直らない
最後に、橋本さんは企業の経営層や人事・労務担当者の方々に向けて、原田さんは管理職になることをためらっている当事者の女性に向けて、言葉をいただけますか。
橋本さん
「経験の量が質を高める」。これが私の信念です。「準備が整ったら」「大丈夫になったら」と考えていたら、いつまでも始まりません。まずはその環境に身を置き、ドロンコになりながら経験を積むことが、結果としてその人の質を一番高めてくれるはずです。
原田さん
管理職になることを迷っている方に伝えるとしたら、大変なことは確かに多いです。でも、意外にやってみたらできることもあるかもしれない、と。経験する前に「無理だ」とあきらめてしまうのは、もったいないと思うんです。
あと一人で頑張らなくていい、ということも伝えたいです。私自身の経験でいうと、否定せずに話を聞いてくれる人が一人いるだけで、つらいときも気持ちを整理できるし、ひらめきも生まれるんですよね。橋本がそういう存在でいてくれたことが、本当に大きかったと思っています。

編集後記
サポート役に固定されがちな部署を独立させ、配置の力関係を組み替える。理念や得意不得意の可視化で、抱え込まなくて済む仕組みをつくる。意思決定の場には属性や役職の重みが効きにくい設計を入れる──。お話をお伺いして、吉村では複数の観点から構造に介入をして、壊れたはしごに手を入れている様子が伺えました。
もう一つ強く印象に残ったのが「ダメだったら一緒に考えよう」と伝える橋本さんの姿勢です。原田さんに「無理です」と即答されたとき、橋本さんは過度に配慮するのではなく、本人への期待と何があっても支える姿勢を示しました。構造に手を入れることと個人の不安や失敗を許容すること。この両輪で、はしごは登れるものに変わっていったのだと思います。
もちろん管理職以外の道も尊重されるべきものです。ただ、登用を考える場面で「壊れているのは、はしごのどこか」と「不安に寄り添い伴走する人や仕組みは社内にあるか」。この二つを点検してみると、組織として必要な取り組みがより鮮明にみえてくるかもしれません







