1. 人事・労務
  2. 労務管理

人事は「2階建て」で考える──労務がもつ本質的な役割

公開日
目次

労務と人材マネジメントは、人事を構成する二大領域です。近年では、人的資本経営の推進や働き方の多様化を背景に、この両者のバランスをどう設計し、機能させるかがより重要になっています。

なかでも「労務」は、実務の土台であるにもかかわらず、意外にも見落とされがちな領域です。実際、人事担当者が直面する課題の多くは、労務に関する理解や対応と深く結びついているともいわれています。

本記事では、『図解 労務入門──人事の土台をゼロからおさえておきたい人のための「理論と実践」100のツボ』の著者・坪谷邦生さんに、労務の本質や果たすべき役割について、理論と実践の両面から語っていただきました。

※SmartHRでは人事・労務の業務に役立つセミナーを多数開催しています。本記事は2025年2月開催『人事にこそ知ってほしい「労務入門」〜人事の鍵を握る労務業務の重要性〜』の講演内容をもとに制作しています。

坪谷 邦生 さん

株式会社壺中天 代表取締役

1999年、立命館大学理工学部を卒業後、エンジニアとしてIT企業(SIer)に就職。2001年、疲弊した現場をどうにかするため人事部門へ異動、人事担当者、人事マネジャーを経験する。2008年、リクルートマネジメントソリューションズ社で人事コンサルタントとなり50社以上の人事制度を構築、組織開発を支援する。2016年、人材マネジメントの領域に「夜明け」をもたらすために、アカツキ社の「成長とつながり」を担う人事企画室を立ち上げる。2020年、「人事の意志をカタチにする」ことを目的として壺中天を設立し現在。主な著作『図解 人材マネジメント入門』(2020)、『図解 組織開発入門』(2022)、『図解 目標管理入門』(2023)など。

そもそも「人事」とは何か―漢字が表す本質

まず私が問いかけたいのは、「そもそも人事とは何か?」ということです。私は研究者ではなく、実践者として20年以上にわたり現場に立ち続けてきました。その経験を通じてたどり着いたのが、人事とは「人を生かして、事をなすこと」という考え方です。

この本質は、日本語の「人事」という漢字そのものに表れています。たとえば、「人を犠牲にしてでも事をなす」。これは人事ではなく、搾取です。逆に「人は元気にしているが、事がなされない」。これも人事ではなく、ぬるま湯です。

私が考える「人事」とは、一人ひとりの力が十分に発揮され、同時に組織の目的も達成される状態。つまり、「人」と「事」がともに満たされていることが、その本質です。

ここであらためて思うのは、日本語の偉大さです。「人事」というたった2文字が、物事の本質を見事に言い表しています。しかも“人”が先で、“事”が後。この順番にも、大きな意味があるのです。

「労務」の本質は、労働における義務を果たすこと

では、今回のテーマである「労務」とは何でしょうか。 私は労務を、企業と働く人が「労働」における「義務」を果たすことと定義しています。つまり、「労」と「務」、それぞれに意味があり、その両方を果たすことが「労務」なのです。

まず、「労」について説明しましょう。この考え方のベースには、哲学者ハンナ・アーレントの著書『人間の条件』があります。アーレントは、人の営みを3つに分類しています。

1. Labor(労働)

これは「生命を維持するための営み」です。生活のために、つらくてもやらなければならない仕事。どんなに大変でも、働かなければ収入は得られず、生きていくことはできません。まさに、生存を目的とした活動が「労働」です。

2. Work(仕事)

こちらは「自然には存在しないものを創り出す、創造的な営み」です。たとえば、ものづくりやサービスの開発、企画や設計など。「自分がつくった」と誇れる達成感がある一方で、当然、苦労も伴います。しかし、それでも楽しさややりがいを感じられるのが「仕事」です。

3. Action(活動)

最後に「活動」とは、「コミュニケーションを通じて社会化する営み」です。たとえば、組織を活性化させる取り組みや、社会をより良くするための行動。対話や協働を通じて、人と人とのつながりのなかで何かをなしていく営みが「活動」です。

左側に労働・仕事・活動のベン図。右側に「労働」から出た吹き出しで勤務・事務・義務。労務=「労働」と「義務」を示した図

出典:セミナー投影資料より抜粋

これら3つの営みの定義を見たとき、「労働」だけがあまり楽しそうではないと感じる方もいるかもしれません。ただ冷静に振り返ってみると、多くの人が日々、労働・仕事・活動のすべてに関わりながら働いていることに気づくのではないでしょうか。

たとえば、私自身も、書籍の執筆やセミナーの開催といった「活動」のなかで、「仕事」としての楽しさややりがいを感じています。ですが、その裏側には、調査や資料整理、地道な事務作業など、「本当はやりたくないけれど、必要な『労働』」が確実に存在します。

このように考えると、「労働」「仕事」「活動」は、それぞれ独立したものではなく、1人の「働く人」のなかに同時に存在していることがわかります。働くという営みは、決して単一のものではなく、複数の要素が重なり合って成り立っているのです。

義務の「務」が示すもの

「労務」の「務」について、私は辞書にとらわれない、実務的な視点からの解釈を提示したいと考えています。辞書を引いてみると、「労務」は「労働し勤務すること」「労働に関する事務・手続き」といった説明が一般的です。ですが、私はそれだけでは足りないと感じました。 「労務」という言葉に向き合うとき、「これは“義務”のことではないか」と考えました。

企業には、働く人々をねぎらい、配慮し、平等に扱う義務があります。同時に、働く側にも、職場の秩序やルールを守る義務があります。その双方が、それぞれの義務を果たす。そのバランスと信頼関係のうえに成り立っているのが、「労務」だと私は考えています。

労務と人材マネジメントは、「人事」における1階と2階の関係

労務と人材マネジメントの違いについて、私は建築構造のメタファーを使って説明しています。労務は1階、人材マネジメントは2階という関係です。

まず、労務は就業規則や労働法にもとづき、「すべての労働者を平等に扱い、生活を守る」ための機能です。ねぎらい、配慮し、偏りなく処遇することが求められます。ここに不公平があってはなりません。労務の本質は「平等性」です。

一方、人材マネジメントは企業の競争力を高めるための戦略的な施策であり、「偏りをもたせて人材に投資する」ことが前提です。たとえば「この人に投資すれば、組織の成果に直結する」と判断すれば、その人に重点的にリソースを配分する。極端にいえば“ひいき”にも近いものです。平等であっては、投資としての効果が薄れる側面があります。

「人事」の大きな枠の中に「人材マネジメント」と「労務」があり、「労務」は平等な処遇、「人材マネジメント」は偏らせた投資にあたることを示した図

出典:セミナー投影資料より抜粋

ただし、ここで忘れてはならないのは、人は常に好調なときばかりではないということです。体調を崩すときもあれば、家庭の事情で一時的に成果が出せないこともあります。そうした現実に向き合うとき、「平等に守る労務」の存在が、戦略的な人材マネジメントの土台になります

私はこの構造を、1階に「労務」、2階に「人材マネジメント」が載る“2階建て”の人事モデルとして捉えています。この土台がしっかりしていなければ、いくら戦略的な施策を打っても長続きしません。

労務に求められる3つの役割―ホロン構造で理解する

では、「労務」に求められる役割とは何か。私はこの問いに「ホロン構造」という入れ子状の階層構造の考え方で整理しています。

この構造では、内側(下位階層)ほど基本で重要、外側(上位階層)ほど複雑で復元が難しいという特性があります。労務もこの構造に沿って、次の3つの役割を担うと考えています。

OE(オペレーションエクセレンス)RM(ルールマスター)ST(ストラテジスト)のホロン構造の図

出典:セミナー投影資料より抜粋

1. OE(オペレーションエクセレンス):労務オペレーションを正確に処理する役割

最も基本となる役割が、オペレーションエクセレンスです。勤怠管理、給与計算、年末調整、入退社、各種手続きなど、正確かつ効率的に回すことが求められます。

単に処理をこなすだけでなく、制度の変更を運用に落とし込む設計力も必要です。たとえば新しい人事制度を導入する際、「今のシステムで対応可能か」「運用として成立するか」を見極めるのは、この層の実務的な眼です。標準化、マニュアル化、システム化、アウトソーシングの判断などもこの役割に含まれます。

 OE(オペレーションエクセレンス)の役割。OEから「見直し・改善」「新規施策」「労務業務の正確なオペレーション」に矢印が伸び、「見直し・改善」「新規施策」からさらに「労務業務の正確なオペレーション」に矢印が伸びている。

出典:セミナー投影資料より抜粋

2. RM(ルールマスター):基準を使いこなし、最適解を導く役割

次に位置するのが、ルールマスターです。妊娠・出産、介護、ハラスメント対応など、労務上の相談やトラブルが発生したとき、法令や就業規則、契約条件などを使いこなし、解決に導く力が求められます。

単に「ルールだからダメ」と突っぱねるのではなく、「この条文を適用すれば解決できるのでは?」「過去の対応例から、この対応が妥当では?」といった、基準を守りながら柔軟な対応ができることが重要です。

私は今後、労務で最も活躍するのはこのルールマスターだと考えています。実務と人に深く関わる、非常に奥深い役割です。

RM(ルールマスター)の役割。「イベントの発生と相談」「ルールを使いこなす」「対応の検討と提案」の順にフローが並んでいる。

出典:セミナー投影資料より抜粋

3.ST(ストラテジスト):社会の動きを読み、組織に変革をもたらす役割

最も外側の層がストラテジストです。社会全体の動きにアンテナを張りながら、組織に必要なルール・仕組み・文化を構想し、実装していく役割です。

たとえば、コロナ禍でのリモート対応や柔軟な勤務制度の導入などがこれに当たります。社員の声を拾い上げ、社会トレンドと照らしあわせて問いを立て、「ルール設計」そのものを変えていく。人事制度や働き方をプロダクトと捉え、設計・導入・運用までを手がける変革者です。

ST(ストラテジスト)の役割。「労働者のニーズ」「社会のマクロな動き」から「働き方とルールを変革する」に矢印が伸び、そこからさらに「社会的インパクト」として外に矢印が伸びている。

出典:セミナー投影資料より抜粋

労務は人事全体の基盤となる重要な領域

これまでのお話から浮かび上がるのは、労務は単なる事務処理や法令遵守にとどまらない、人事全体の基盤となる重要な領域だということです。人を生かして事をなすという人事の本質を実現するために、1階の労務がしっかりしていなければ、2階の人材マネジメントも成り立ちません。

人材マネジメントに注目が集まりがちですが、その土台となる労務をおろそかにしてはいけません。労働者をねぎらい、いたわり、平等に扱う労務の役割があってこそ安心して働ける環境が整い、そのうえで人材への投資や育成が意味をもちます

労務と人材マネジメントの違いを理解し、それぞれの役割を明確にすることで、より効果的な人事施策を展開できるはずです。人事担当者には、まず労務の本質を理解し、オペレーションエクセレンス、ルールマスター、ストラテジスト、これら3つの役割を意識しながら、組織の土台づくりに取り組んでいただきたいと思います。

労務は、人事の「土台」であり「仕組みの実装者」

こうして見てくると、労務は単なる事務処理や法令遵守にとどまらず、人事の基盤として機能するきわめて重要な領域であることがわかります。

人事の本質である「人を生かして事をなす」を実現するには、まずすべての人が安心して働ける基盤、すなわち労務の存在が不可欠です。そのうえで、はじめて人材マネジメントによる投資や育成が生きてきます。

人事施策というと、どうしても目を引くのは2階の人材マネジメントですが、その土台である1階の労務をおろそかにしてはいけません。

今後、人事担当者の皆さんには、ぜひこの構造を踏まえて、

  • オペレーションの強化
  • ルールの適切な運用
  • 社会変化への対応

これら3つの役割を意識しながら、組織づくりの根幹としての「労務」に取り組んでいただきたいと願っています。

人気の記事