“1人で抱えがち”な労務の仕事に光をあてる──『図解 労務入門』著者鼎談
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「労務の仕事は、どうしても1人で抱え込みがち」そんなふうに感じたことはないでしょうか。業務の特性上、社内で気軽に相談しにくく、ふと立ち止まりたくなる瞬間もあるかもしれません。
一方で、労務は人と組織を支える基盤として、かつてないほどにその重要性が高まっています。法令対応やオペレーションにとどまらず、働く環境や組織の健全性そのものをつくり出す力が、労務にはあります。
今回は、『図解 労務入門──人事の土台をゼロからおさえておきたい人のための「理論と実践」100のツボ』の著者である坪谷邦生さん、岩田佑介さん、古茶宏志さんが、労務の本質と価値について鼎談を実施。労務担当者が抱える孤独感、AI時代における労務の役割、そして労務がもつ社会変革の力まで、3人の専門家が率直に議論を交わしました
※SmartHRでは人事・労務の業務に役立つセミナーを多数開催しています。本記事は2025年2月開催『人事にこそ知ってほしい「労務入門」〜人事の鍵を握る労務業務の重要性〜』の講演内容をもとに制作しています。
- 坪谷 邦生 さん
株式会社壺中天 代表取締役
1999年、立命館大学理工学部を卒業後、エンジニアとしてIT企業(SIer)に就職。2001年、疲弊した現場をどうにかするため人事部門へ異動、人事担当者、人事マネジャーを経験する。2008年、リクルートマネジメントソリューションズ社で人事コンサルタントとなり50社以上の人事制度を構築、組織開発を支援する。2016年、人材マネジメントの領域に「夜明け」をもたらすために、アカツキ社の「成長とつながり」を担う人事企画室を立ち上げる。2020年、「人事の意志をカタチにする」ことを目的として壺中天を設立し現在。主な著作『図解 人材マネジメント入門』(2020)、『図解 組織開発入門』(2022)、『図解 目標管理入門』(2023)など。
- 岩田 佑介 さん
岩田社会保険労務士事務所 所長
特定社会保険労務士。株式会社パソナ、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の2社にて人事コンサルタント、ライフネット生命保険株式会社の人事部長を務めた後に独立。著書として「経営戦略としてのワーケーション入門(金融財政事情研究会)」「ベンチャー・スタートアップ企業の労務50のポイント(セルバ出版)」など。
- 古茶 宏志 さん
壺中人事塾 ファシリテーター
2014年、東京大学教育学部を卒業後、リンクアンドモチベーショングループにて、人材紹介、自社の新卒採用、ベンチャー企業向け採用戦略コンサルティングなど幅広く従事。その後、エール株式会社を経て、社会福祉法人フラットにて人事労務責任者を務める。現在は、某IT企業にて人材育成をテーマに人事として奮闘中。坪谷氏が主催する「壺中人事塾」の1期生であり、現在は人事育成を支援するファシリテーターを務める。
労務を支える3つの役割──OE・RM・STという視点
坪谷さん
労務と人材マネジメントは、ともに人事に欠かせない領域です。しかし、役割は本質的に異なります。労務は「働くこと」そのものに向き合う領域。一方で人材マネジメントは、人材の「活躍」に向き合う領域です。
労務では、労働者の権利を守り、公正かつ安全な環境を整える。一方の人材マネジメントは、個々の能力を引き出し、組織の成果につなげる。その違いを理解したうえで、私は労務の役割を3つの階層に整理しています。
1. OE(オペレーションエクセレンス):給与計算や勤怠管理など、正確な基盤業務の遂行
2. RM(ルールマスター):法令の理解・適用や相談対応といった「守り」の専門性
3. ST(ストラテジスト):戦略的な視点から、労務の知見を組織運営に活かす役割

出典:セミナー投影資料より抜粋
古茶さん
この3つの階層の整理には、私も深く共感しています。以前、前職で人事責任者として労務も見ることになった際、何から着手すべきかわからず手探り状態でした。求められていたのはST的な動きだったはずですが、OEやRMの基礎が理解できていなければ、戦略を語れません。現場のオペレーション担当と一緒に学びながら、徐々に視座を上げていきました。
HRトランスフォーメーションの陰で見落とされる「手触り感」
岩田さん
一時期「HRトランスフォーメーション」が話題となり、オペレーション業務は極力外注をという流れがありましたよね。ですが、OEの領域は実は相当奥が深く、専門性が高い。たとえば給与計算一つをとっても、現場で経験して初めて“職人芸”ゆえの難しさがわかります。
労務担当者が扱う情報は、勤怠、労働時間、給与など、まさに一次情報の宝庫です。これらを感覚的に扱える人が社内にいることが、どれだけ組織の強みになるか……もっと評価されるべきだと思います。
坪谷さん
私は、労務担当者は“センサー”の役割をもっていると考えています。「あの部署、遅刻が増えてる?」とか「最近、ちょっと疲れていそうだな」といった変化に敏感に気づける存在です。AIは入力された情報にしか反応できません。何が起きているかを“察知”する力こそ、労務がもつ独自の価値です。
岩田さん
最近では、労務ダッシュボードを活用して、部長会などで組織の状態を共有している企業もあります。データとして可視化されれば、経営層の意識ももっと自然に変わっていくはずです。
孤独になりやすい労務こそ、つながりが必要
古茶さん
労務を担当している方と話していると、「孤独になりやすい」とよく聞きます。私が参加している壺中人事塾でも「労務なんですけど…参加しても大丈夫ですか?」と遠慮がちにお声がけいただくことがあります。ですが、もちろん大歓迎。労務も人事の大切な一部ですから、ぜひ堂々と参加していただきたいんです。
岩田さん
労務は、ハラスメント対応や育休、不妊治療など、同僚にはなかなか話せないセンシティブな情報を日常的に扱っています。それでいて、採用や育成と比べて社外とのつながりも少ない。孤独を感じないためにも外部のコミュニティを活用していくことが大切だと感じています。
AI時代、労務の価値はどう変わるのか?
坪谷さん
最近よく「労務の仕事はAIに代替されるのでは?」と聞かれます。
岩田さん
RM領域の調査や文書作成のような作業は、たしかにAIが得意になってきました。ただ、企業内の一次情報、つまり文書化されていない面談や現場感覚は代替できません。むしろAIによって時間が生まれた分、本来注力したかった領域に集中できるようになると考えています。
坪谷さん
AIがRMで力を発揮してくれるなら、OEやSTへと人の力を広げられる可能性もあります。たとえば、定型的な面談はAIが代替し、人が担うのは心理的ケアが必要な場面という役割分担もできるでしょう。
古茶さん
センサーとしての労務の価値は、これからさらに重要になると感じます。AIとの共創ができるかどうかが、労務の未来を左右する気がしています。
労務がもつ社会変革の力
岩田さん
労務は、社会そのものを変える力をもっていると感じています。たとえば「男性育休」。昔は制度すらなかったところに、労務担当者のみなさんが「育休をとってみませんか?」と声をかけてきた結果、いまや30%以上の取得率(※)になりました。労務は、社会の働き方を“ラスト・ワンマイル”で動かしてきた存在なのだと思います。
坪谷さん
結婚や妊娠の報告を受けたとき、マニュアルや手続きの話をする前に「おめでとうございます」と言えるかどうか。仕組み化はもちろん大事ですが、そこに“血を通わせる”のは人間にしかできないことです。型を作って血を通わせるから、初めて形になるんです。
岩田さん
「私情は挟まないが、情は大切にする」と話されていたご担当者がいて、共感した記憶があります。たとえば入社書類ひとつでも、封筒に手書きの一筆が添えられているだけで、従業員体験は大きく変わる。OEの効率化で生まれた時間を、こうした“情”の部分に使えることこそ、本当の意味での価値だと思います
※出典:厚生労働省「令和5年度雇用均等基本調査」によると、令和3年10月1日から令和4年9月30日までの1年間に配偶者が出産した男性のうち、令和5年10月1日までに育児休業(育休)または産後パパ育休を開始したもしくは申し出をしている者の割合は30.1%。
労務リテラシーを人事全体の標準に
岩田さん
私のライフテーマは「労務の価値を社会に広めること」です。『図解 労務入門』を読んでくれた人から、「労務っておもしろいですね」と言われることが増えました。
古茶さん
日本の労務リテラシーを、人事全体で底上げしていきたいですね。採用が重要というのは共通認識になっていますが、OEの重要性も、同じように“当たり前”に語られるようにしたい。
坪谷さん
経営者がこの本を手に取り、管理部門に配布しているケースも多いようです。「いつものシリーズなら読んでみるか」という形で労務に触れる人も増えていて、それは非常に意味のあることだと感じています。
自分を“生かす”ことから始まる、労務の価値創造
坪谷さん
人事とは、「人を生かして事をなす仕事」です。ただし、その“人”には自分自身も含まれることを忘れないでいただきたいですね。他者を支えるだけでなく、まずは自分を“生かして”ほしい。その状態こそが、周囲の人を生かすエネルギーになると思います。
古茶さん
労務のセンサー機能は、組織にとって欠かせません。変化を察知し、働く人の権利と尊厳を守る──それは、労務担当者にしかできない独自の価値です。
岩田さん
労務は楽しいことばかりではありません。むしろ苦しいことも多い。ですが、社会を動かしていく誇りある仕事です。これからも、一緒にその価値を伝えていきたいですね。