人的資本経営において決定的に重要な「人事・労務担当」の役割(1)|実務ベースで考える人的資本経営の進め方 #02
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人的資本経営において「人事・労務部門」の役割は非常に重要ですが、認知が高いとはいえません。人的資本経営において必要なタスクや実現すべき状態を考えると、その重要性は明らかなのですが、社会的に広く認識されているとはいえないのが現状です。
人的資本経営の実現に向けた運用においても、人的資本情報の開示実務においても、人事・労務系業務と十分に連携されなければ、目的未達成になってしまうでしょう。
連載第2回目は「人的資本経営における人事・労務担当の役割」について解説します。
なぜ人事・労務部門が重要か
人事・労務部門の役割として挙げられるのは、とくに直近10年ほどで実施されてきた「働き方改革」関連の法改正対応や労働管理系の実務でしょう。こうした業務は、現在の人的資本経営と関連する実務に直結する内容だといえます。
今回見ていくように、人的資本経営において、人事労務部門で通常扱われる業務内容は中核の1つといえる内容であり、それらの内容を整理・統合しないと人的資本経営の戦略立案や開示が中途半端なものになってしまうといえます。
担当部門以外から業務の全体像が見えにくいところもあると思われ、人的資本経営の施策影響し得る内容について、人事・労務部門が主体となった社内での発信・提案も重要であると思います。
人的資本経営の実行時に必要なポイント
具体的には、人的資本経営を実行するうえで必要なのは下記の2点です。
(1)現在の人事・労務施策の整理
過去の人事・労務・法務関係施策の棚卸しや、分析をもとにした施策を考えなければ、人材戦略や開示が不完全になります。
(2)制度開示への対応
人的資本経営の「制度開示」が人事・労務業務と強く関係しているため、人的資本経営の施策と人事・労務の実務とを接続して企画・実行する必要があるのです。
今回は、上記のうち「現在の人事・労務施策の整理」について解説します。
「現在の人事・労務施策の整理」が重要
「現在の人事・労務施策の整理」とは、何が該当するのでしょうか。たとえば各論の具体例ですが、上場企業において2023年3月期以降の決算からはじまる「有価証券報告書の開示義務化」の項目となる「女性活躍推進法の男女賃金差」や「女性管理職比率」「男性の育児休暇取得率」が該当します。
上記の2点においては、数値の掲載だけでなく、背景の数値への理解や施策の記載が事実上必要になってきます。こうした方針は、すでに施行されている女性活躍推進法上の義務として開示されている内容もあります。
平成27年から施行されている「女性活躍推進法」への対応は、育児介護休業法の度重なる改正や、開示義務がある次世代法の改正などとともに、働き方改革関連の法改正のなかで義務化された経緯があります。そのため、ほとんどの企業で人事・労務業務の一環として扱われています。
一定以上の規模の会社では、人的資本経営につながるような人事制度やダイバーシティ、サステナビリティ観点の取り組みは、人事企画・経営企画側の部門で取り扱われることが多いかと思います。現時点でも上記のような働き方改革にともなって実施されている人事・労務業務と、趣旨が似ていても一体的に実行されていない例が大変多いものといえます。
ズレが散見される「各企業の方針」と「女性活躍推進法上の開示内容」
筆者は、各企業でのサステナビリティ報告書や統合報告書のダイバーシティ方針と、女性活躍推進法上の開示情報を比較したことがあります。結果として、現状は公開されている女性活躍推進法の開示内容と、サステナビリティ関係のダイバーシティの方針がずれた内容になっている企業が、有名企業でも多く見られました。
「設定された目標値がそれぞれの情報で異なっている」「女性活躍として明らかに関連性のない施策が記載されている」などの事例が散見されたのです。
人的資本経営の正しい業務プロセスの実施が信用力担保につながる
今後、人的資本経営がさらに進んでいくなかで、方針と実施内容のズレは、社内施策の徹底や一体的な進行を難しくします。それだけではなく、開示内容の矛盾によって、企業の信用力低下につながる事態も考えられます。
こうした事態を避けるために、人的資本経営の実施から開示に至る業務プロセスとして、下記の順番を重視して実行し、②の「人的資本に関わる人事・労務方針の情報整理」を必ず実施する必要があるといえます。
下記のプロセスは、拙著「人的資本経営と開示実務の教科書」でも繰り返し提示している業務の順番です。
- 人事戦略に関する議論と課題設定・経営基盤
- 人的資本に関わる人事労務方針の情報整理
- 社内の情報インフラの整備、各部署の体制や制度の整備
- 人材戦略の順次実施、開示への実務
端的には、「現在に至るまでの人的資本経営に関わる方針や運用を棚卸ししてまとめる」ことです。何か補足的に実施する意味合いではなく、人材戦略の策定や開示のうえで必須のタスクとなるのです。
具体的には、人的資本経営を実行するために必要な下記の項目が該当します。
- 人的資本経営に強く関係する法制度のこれまでの実務運用の情報
- 人事制度や労務制度、育成に関する方針や情報
- その他関連する、外部に発信している人事に関連する方針 など
上記について「どのようなものがあり」「それぞれについてどのようなことを発表して」「人的資本経営や開示に関わる点は何か」の分析が前提となります。
「人材戦略の議論や意思決定」はもっとも重要です。まずは①からはじめつつ、同時並行かあるいは前提として、上記②の情報分析がされていなければ、実施内容が巻き戻ってしまうことになりかねません。
女性活躍推進法関連以外の項目の分析も不可欠
前項では女性活躍推進法をメインに取り上げましたが、他にも「次世代法」「副業ガイドライン」「健康経営」などの制度開示についても同様となります。
また、賃金関係では同一労働同一賃金の方針も、人的資本経営とつながりが深いものといえます。賃金制度の公平性は、報酬や人的資本の効果、セグメント別の分析のために不可欠な情報のはずです。場合によっては、情報を整理するために、人事制度・労働法務などについて、外部の専門家や第三者への相談でスムーズに進む場合も多いと思われます。
とくに制度開示に関連する要素として、企業の状況によって整理すべきさまざまな書面群が存在すると考えられます。それぞれの書面に記載がある人的資本経営に関連する項目について、自社の運用・制度状況の確認・整理が重要であると考えられます(これらの書類に限定する趣旨ではありません)。
- 事前検討が必要な資料で想定される項目
- 女性活躍推進法の行動計画と開示情報と法改正対応方針
- 育児介護休業法の行動計画と開示情報と法改正対応方針
- 同一労働・同一賃金観点での賃金差の説明書・社内整備内容など
- 健康経営認定関係・労働安全衛生関係の宣言や開示事項
- ハラスメント関係の宣言事項やその他の方針
- 就業規則や賃金規程などの関連方針
- 社内で報告している労務監査記録や内部監査記録
- 人権デューデリジェンス上の開示事項
- 採用関連の広報内容、採用要件や方針など
- 副業関係のルール・申請制度等 法改正対応方針
- ESG関係の開示事項
- 有価証券報告書の組織関係事項の開示内容
- 統合報告書・サステナブル報告書等の関連内容
- 各部署で実行されている現状の育成計画や研修内容
- 人事制度の方針やルール類 など
情報整理で人材戦略立案のヒントが見つかる
まずは、上記についての取り組みや現状把握を整理したうえで人材戦略につなげる必要があります。そのように進めなければ、現状の開示内容や社内で認識されている実態・方針とズレてしまうことになりかねません。
また上記書面は、セクションが多い企業では、経営企画・IR財務・ESG・人事企画・人事・労務・福利厚生・健康管理などの各部署で分掌されている可能性もあります。それぞれの方針が整理されていないと、経営上の重要な要素が漏れ、矛盾した施策の実施にもつながってしまいます。
情報を整理することで、人的資本経営の人材戦略の考慮において必要な要素が見えてくることも多いものです。こうした情報整理をもとに戦略の立案に入ることが重要になります。