人的資本経営において決定的に重要な「人事・労務担当」の役割(2)|実務ベースで考える人的資本経営の進め方 #03
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人的資本経営においてもっとも重要ともいえるにもかかわらず、一般的な認知は高くないのが「人事・労務部門の役割」です。連載第3回目は、前回の記事「人的資本経営において決定的に重要な「人事・労務担当」の役割(1)|実務ベースで考える人的資本経営の進め方 #02」に引き続いて「人事・労務部門の役割」について解説します。
人事・労務担当者における制度開示の対応内容
人的資本経営の運用や、人的資本情報の開示実務において、人事・労務実務との接続は非常に重要です。社内の体制整備とともに、この重要性を担当者が認識していることが望まれます。
理由として、以下の2点の業務が人的資本経営の運用と情報開示の業務で必須になるためと前回でお伝えしました。今回は、2の「制度開示への対応」についてお伝えします。
- 現在の人事・労務施策の整理
- 過去の人事・労務、法務関係施策の棚卸や分析をもとに施策を考えなければ、人材戦略や開示が不完全になる
- 制度開示への対応
- 人的資本経営の「制度開示」が人事・労務業務と強く関係しているため、人的資本経営の施策と接続して企画・実行する必要がある
とくに人的資本の情報開示において、日本の制度の大きな特色の1つが、「制度開示」といわれる、労働関連法における開示義務が多く定められていることです。制度開示とは、法令に根拠がある人的資本情報の開示を指し、金融商品取引法や女性活躍推進法などさまざまな法令のことをいいます。また、それらのルールと関連性をもって、企業の情報が開示される体系になっていることにあります。
日本における法制度整備の経緯を振り返ると、欧米においてESG経営の流れが大きく起こってきたタイミングで、日本では同時進行的に「働くうえでのライフステージ課題」の解決が図られ、さまざまな制度が継続的に整備されてきました。このような雇用環境のルールとして整備されたのが「働き方改革」です。
ESG・ESG経営と働き方改革
ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字からつくられた言葉です。気候変動問題や人権問題などの世界的な社会課題が顕在化しているなか、企業が長期的成長を目指すうえで、ESG観点での社会責任の配慮が重要であり、経営基盤になるという考え方になります。
こうしたESG経営がまさに欧米で進められてきた2000年代に、日本では働き方改革が始まりました。働き方改革の政策において、自主的に各企業が自社課題を分析・方針決定し、かつ施策や情報を開示するような法令が複数整備されました。こうした法令が、人的資本経営のなかでは「制度開示」と呼ばれ、重要な位置づけとなっています。人的資本経営の考え方と近い政策が、先んじて複数実施されてきたのだといえます。
労働法関係の制度開示の一覧
人的資本の「制度開示」といえる法令について、とくに最近施行された法改正に着目すると、以下のような事項が挙げられます。
- 有価証券報告書での人的資本関係の情報開示を義務化(上場企業対象)
- 2023年3月31日決算以降、人的資本に関する情報として社内環境整備方針・人材育成方針を記載。多様性として、男女賃金差・男性育休取得率・女性管理職比率などを記載する。
- 雇用関係の法令や制度の改正で定められる事項(全企業対象、人数要件があるものもある)
- 男女・正規/非正規社員の賃金差の開示義務
- 副業・兼業についての情報の開示義務
- 男性社員の育児休業取得率の開示義務
- 健康経営の強化と健康情報のより強化された開示
- 中途採用比率の開示義務
- 育成・リスキルの強化についての政策の強化
※前提として、近年増えている「措置義務」が定められている法改正や女性活躍推進法、次世代法の情報開示、一般事業主行動計画の規定義務などの制度全体も、制度趣旨が人的資本経営と強いつながりをもっており、広い意味での制度開示と一体的に扱う必要があると考えられる。
こうした制度開示は、直近約10年の労働法改正のなかでも非常に重要な内容であり、人的資本経営の開示内容と強いつながりがあります。国内の働き方については、少子高齢化が非常に速く進むなかで、国際的に見ても特有の問題があるといえます。こうした背景からも、日本における人的資本経営において重視すべきポイントは「ライフステージや特性に応じた活躍とキャリアの自律の支援」と、働き方改革から続いている「多様な働き方の支援」であるといえるでしょう。
たとえば、女性活躍推進法・次世代法・育児介護休業法においては、結婚や育児のタイミングで「仕事を存続して育児を継続するか」「家庭を一時期重視して休業・退職するか」の自律的な判断が必要であり、決定に応じた活躍が図れているかという論点が提示されています。
重要視されている「ライフステージと特性別での実施施策の開示」
「夫婦や家族の協働による雇用を存続しやすくすること」と「一度仕事を離れた後も再チャレンジが可能な働き方にしていくこと」も重要な選択肢であり、これらの課題に対して雇用関係で実施されている施策が、人的資本経営の情報開示においても重視されています。
また、副業方針や中途採用人数の開示についても、制度趣旨として「ライフステージと特性に応じた活躍とキャリア自律の推進」を目指すものであるといえるでしょう。日本企業の発展の弊害として、新卒一括入社で採用されるケースが多い正規社員と、非正規社員の待遇差の大きな壁を乗り越えられないことが挙げられてきました。
さらに諸外国に比べて転職率が低く、キャリアが単線的であり、勤務先・職種の異動が考えにくいため、仕事へのエンゲージメント(当事者意識ややる気)も低下しやすいことがデータからも明らかになっています。
このような問題に対して、中途採用比率や副業への方針開示によって、副業の一律禁止などが解消され、「ライフステージと特性に応じた活躍とキャリア自律の推進」を後押しする施策として定められました。
人事・労務担当の役割が人的資本経営の実現のカギを握る
日本における人的資本経営の制度全体は、既存の人事・労務関係制度と接続し、各企業がさらに本気での対応を迫られるものになっています。企業における雇用関連の課題は、とくに「人事・労務」「人事管理」領域での担当が多く、制度的に各社独自の課題を設定し、人的資本経営を実行する制度になっています。
しかしながら、一般的にはそれぞれの法令の認知度も低いなかで、課題について法制度の仕組みを意識して経営判断と遂行まで実行している企業は、十分に多いとはいえないのが実態ではないでしょうか。人的資本経営の進展は、このような現状に大きな変革を迫るものであり、決定的に人事・労務担当の役割が重要といえます。
人的資本経営に関する有価証券報告書の開示内容では、とくに女性活躍に関係する内容である「男女賃金格差」や「女性管理職比率の内容」、また男女のライフステージ課題の中心である育児についての「男性育児休業取得率」などが必須の開示項目になっています。
また、有価証券報告書の開示事項は、社内環境整備指針や人材育成方針の総括的な定量・定性的数値の記載が求められるものと考えられます。その内容を考えるうえでも、「多様性」として開示が定められている項目との関係性を重視した項目の記載が重要になります。
(出典)ディスクロージャーワーキング・グループ報告-中長期的な企業価値向上につながる資本市場の構築に向けて-概要 - 金融庁
また、次世代法・副業ガイドライン・健康経営などの制度開示についても、人的資本経営との関係性が強く、課題設定が大いに求められます。賃金関係では同一労働同一賃金の方針も、人的資本経営とつながりが深いといえます。
以上に考察したように、各社の人事・労務や人事管理部門で扱う法令の領域や課題群は重要な扱いとなっており、積極的に課題を発見したうえでの設定が求められます。
「制度開示」と関連する項目は、人的資本経営で任意に開示が推奨される項目のなかで、「ダイバーシティ」「健康・安全」「コンプライアンス・労働慣行」など、複数の項目と強く関連しています。とくにダイバーシティとの関係性は大きいでしょう。
- 人的資本可視化指針の任意開示のカテゴリ
- 人材育成
- エンゲージメント
- 流動性
- ダイバーシティ
- 健康・安全
- コンプライアンス・労働慣行
人的資本経営の進め方と人事・労務担当者のあり方
改めて人的資本経営とは、「人的資本として把握される要素を重視して現状を把握し、経営的な意思決定としてKPIを設定・改善すること」です。基本的にこの部分が人的資本経営の中核になります。下図の①②の「現状把握」と定期的な「KPI設定・改善」が、人材戦略の基盤になります。そのうえで、①②のプロセスを実施する方針や状態、成果について、③の開示を実施することになります。
このときに、「人事・労務」と呼ばれる領域について、積極的な法令対応の実態から課題まで広く含まれていなければ、人材戦略は偏ったものになってしまいます。とくにダイバーシティの指標は、投資家からの注目度が高いといわれており、重要な指標になるでしょう。このような観点を踏まえ、人事・労務観点についてよく整理された戦略的な人的資本経営の実施が必須となります。資本市場において、人的資本情報の開示は投資家への重要な情報となり、内容によって企業への信頼性や評価の向上が十分に考えられます。
人事・労務担当者の経営的視点での施策遂行が人的資本経営の効果を最大化する
人事・労務の業務も、人的資本経営の制度変化のなかで、根本的な変革を迫られることは間違いないといえます。変革がされない場合は、人的資本経営と開示実務は表面的になり、偏った内容になるはずです。
従来の人事・労務、人事管理は、労働時間管理や賃金関係の業務、職場のルールに関する対応などの「確実な実施」が重視される職域だったといえるのではないでしょうか。しかし、人的資本経営の潮流では、経営的な俯瞰した視点をもち、積極的に人材育成や事業成長と一体的に人事・労務業務を捉え直し、改善し続ける姿勢が求められると思います。
また、積極的な課題設定と改善が求められる雇用関係法や制度については、人的資本経営の大きな枠組みのなかで創造的に施策を実施していかなければ、実施内容や成果が不完全になってしまう可能性が非常に大きいと思います。人事・労務と人事管理業務の変革がなされてこそ、人的資本経営が本当に効果のあるものになるといえるでしょう。