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「人材版伊藤レポート」を実務でどう使う?特徴と6つの注意点を解説|実務ベースで考える人的資本経営の進め方 #04

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人的資本経営の指針となる資料であるとイメージされることが多い人的資本経営の「人材版伊藤レポート」。とくに「人的資源でなく人的資本である」「人事ではなく人材戦略である」という表現のインパクトが非常に強く、引用されることが多い資料です。

しかし「人的資本経営の実務に使う」場合は、注意が必要な資料でもあります。筆者が人的資本経営について企業から相談を受ける内容も、本稿で述べる人材版伊藤レポートの「注意点」への誤解が原因となっているケースが多くあります。

本稿では、人材版伊藤レポートであまり触れられない「特徴と注意点」について、私見を交えお伝えします。

人材版伊藤レポートの特徴

人材版伊藤レポートは「人的資本経営」という概念が広まるもとになった資料で、とくに人的資本経営についての経営・育成・人事管理についての理解が得られる資料であると思います。資料としての特徴・長所は、以下の3点があげられます。

  • 人的資本経営の本質論である「経営の仕方」が本質的に記載されている
  • 体系的で読みやすい
  • 大企業目線で具体的施策のヒントがある

人材版伊藤レポートは最初に発出された「人材版伊藤レポート」と、2022年に公開された「人材版伊藤レポート2.0」の2つがあります。いずれも大枠の人材戦略の捉え方と、具体的な経営の整備方法の方向性がまとめられています。

両資料ともに「3つの視点と5つの共通要素」という形で内容が提示されており、「3つの視点」は、主に人的資本を経営において実装に向けた方法が掲載されています。

具体的には、経営体制の整備の方法や責任の取り方、社会的使命などを重視する方法、社内文化の醸成など、もっぱら経営観点での整備事項について述べられています。

また、「5つの共通要素」は、人材戦略遂行のための具体例がカテゴリーごとに提示されたものです。

3つの視点
5つの共通要素

視点1:経営戦略と人材戦略の連動

要素1:動的な人材ポートフォリオ

視点2:「As is-To beギャップ」の定量把握

要素2:知・経験のD&I

視点3:企業文化への定着

要素3:リスキル・学び直し


要素4:従業員エンゲージメント

要素5:時間や場所にとらわれない働き方

人材版伊藤レポートは、基本的に大規模な企業を対象にしている言及が多いため、述べられている各論とわけて、論旨をよく咀嚼する必要がある資料であると筆者は考えています。

人材版伊藤レポートの「3つの視点」とは?

「3つの視点」では、企業経営における人的資本経営の捉え方や体制があげられています。大企業の体制の各論も多いのですが、すべての企業で参考にすべき考え方といえ、経営視点での意思決定やKPI設定、社内への定着の必要性が述べられています。

視点1:経営戦略と人材戦略の連動

3つの視点のなかで最重視されているのが、経営戦略と人材戦略の連動です。両者の課題には密接なつながりがあり、人的資本経営に不可欠とされています。

経営課題改善のためには、どういった人材戦略を採るべきかの中長期視野での検討が大切です。具体的には、CHRO(最高人事責任者)を設置し、人材戦略の実行責任を明らかにして経営陣が行動していく重要性が述べられています。また、企業のパーパス、社会的使命から人材戦略につなげていく視点についても記載されています。

視点2:「As is-To beギャップ」の定量把握

人的資本経営の推進には、「企業の現在の姿(=As is)と企業が目指すべき姿(=To be)とのギャップを定量的に把握し、ギャップを埋めていく必要がある」と述べられています。その際は、課題別のKPIを設定し、戦略を定期的に見直せるようなPDCAの展開が大切だという内容です。

経営陣は人事部門と連携しながら人材データを収集・分析し、KPIや目標達成を目指していくべきと述べられています。

視点3:企業文化への定着

導入した人的資本経営を自社の企業文化として根づかせ、持続的な企業価値の向上を目指すことが説かれています。ここで「企業文化」が述べられているのは、「経営上の習慣や暗黙的な風土・文化のレベルまで人的資本経営を根づかせる」という意味合いであると考えられます。

また、人的資本経営の進捗によって企業理念やパーパスの再考や企業文化の見直し検討など、変革の重要性にも言及されています。

これらの「3つの視点」は、大枠として、すべての企業で現代社会に対応した経営を実行していくために、参照すべき内容であると思われます。

ただし、上記は要約であり、新卒採用を前提にした記載や社外取締役の人数の記載など、明らかに大企業のみに特化された具体的な記載も見られます。

こうした記述は、企業規模によっては具体的で有用でもあると思われます。その一方で、該当しない企業にとっては、有用ではないという誤解を生じさせる原因になり得るため、注意して読む必要があると思います。

人材版伊藤レポートの注意点

人材版伊藤レポートは、有用な面は大きく、経営面で人的資本経営をどのように捉えるかという点で、参照すべきものであるといえます。その反面、以下で挙げる点に注意するべきだと筆者は考えています。こうした注意点を十分に考慮して扱わないと、人的資本経営がとても狭くなってしまったり、実務が偏ってしまったりする恐れもあると思います。

注意点1:強すぎる大企業目線

「人材版伊藤レポート」は、企業にとって人的資本がいかに重要であるかの説明を目的としています。しかし前項で見たように、各論の内容は大企業を対象にした記載が多く、中小企業やスタートアップ企業にとって、使いづらい部分が多いといえます。

そういった部分をスクリーニングして読んでいくというのは、なかなか骨が折れる作業でしょう。

注意点2:「人的資本」の定義が今ひとつ実務面で明確でない

「人材版伊藤レポート」では、「人的資本」という言葉を用いていますが、その定義が明確でないため、実務面での理解が難しい可能性があります。「人的資本経営」とは人材戦略を立てることですが、さらに人材戦略の立て方について、「人的資本可視化指針」では、価値創造とリスクマネジメントを留意し、具体的ないくつかのポイントの課題を元に戦略を立てていくものとされています。しかし、人材版伊藤レポートではこの構造が見えにくいため、「5つの共通要素」の具体的な記載から全体的なモデルの理解が難しいといえます。

注意点3:有価証券報告書の開示事項や労働法関係の対応の記載がない

人的資本に関する課題や取り組みは紹介されていますが、有価証券報告書の開示事項や労働法関係の対応についての記載はありません。そのため、企業が情報を開示する際にどのようなポイントに注意すべきかについて、具体的な指針とはなっていません。

また労働法関係については重要な問題であるため、より詳細な取り扱いが必要です。

注意点4:多様な働き方や女性活躍、法制度整備の観点が抜けている

人的資本に関する課題や解決策を解説していますが、多様な働き方や女性活躍に関する観点はありません。これは、近年の社会情勢の変化や法制度の整備に対応した内容が不足していることを意味します。

現代の多様な働き方や女性活躍についての取り組みは、企業経営においても非常に重要な課題であり、これらの観点を取り入れた視点が必要です。

「要素2:知・経験のD&I」に、人材版伊藤レポート・人材版伊藤レポート2.0とも「女性活躍を促すことに加え」というのみの記載はありますが、人的資本経営の制度全体を見るとき、あくまで補足的・消極的記載といわざるを得ないものと思われます。

注意点5:人的資本の「開示実務」の視点がない

人的資本の重要性や効果的な活用方法の解説はあるものの、開示実務についての視点もありません。企業は有価証券報告書や統合報告書などで、人的資本に関する情報の開示が求められています。また、女性活躍推進法など雇用に関する法制度でも、開示を求める法令が複数あります。しかし、具体的な開示の進め方や注意点などの解説がないため、実践的な視点が不足しているといえます。

注意点6:人的資本経営の実務の進め方が書いてあるわけではない

人的資本に関する理論や事例は紹介されていますが、実務的な進め方についての解説はありません。経営面での責任の取り方や議論についての記載はあるものの、社内での進め方などの記載はありません。

行政的な文書であれば当然ですが、実践的なアドバイスが欲しいと感じる場合もあるでしょう。

理論と事例を参考に自社に合った戦略構築を

「人材版伊藤レポート」は、人的資本経営において重要な指針の一つとして位置づけられます。しかし、大企業目線が強すぎるという点や、労働法関係への対応、多様な働き方や女性活躍の観点、開示の観点が抜けているなど、注意点も多くあります。

企業が人的資本経営を進めるためには、このレポートを活用しつつ、自社状況に合わせた戦略を構築し、より広い情報を採り入れて、統合的な方法を考えていくことが必要です。

具体的な戦略構築や各施策については、事例を取り上げた以下の記事が参考になるので、ご参考ください。

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