制度の恩恵を受けられない人の不満にどう向き合う?「構造主義」に学ぶ問い直し方
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人事や労務が職場で感じる違和感やモヤモヤ、上司や経営層からとめどなく降ってくる課題や無理難題の数々……。哲学や人文知から読み解くと、施策以前の問題がみえてくるかもしれません。今回は文化人類学者・哲学者のクロード・レヴィ=ストロースの思想「構造主義」から考えます。
制度を整えるほど、不公平感が増す?
〜人事・労務担当者のお悩み〜
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労務として、さまざまな事情を抱える社員に向けた制度を整えています。育児や介護のための休暇・短時間勤務など状況に応じた対応を心がけています。
しかし、いざ制度を導入すると、「あの人だけ優遇されているのでは?」という声が上がることがあります。表に出さずとも、育休を取得する人・取得できない人、配慮される側・負担する側。制度の恩恵を受けられない人のなかに、見えない不公平感が生まれているようにも感じます。
公平にしようとしているのに、不満はむしろ増している気がします。制度を整えるほど職場の分断が深まるこの状況に、どう向き合えばいいでしょうか。
制度を整えるほど不満が増える——その袋小路を抜け出すヒントになり得るのが、文化人類学者であり哲学者でもあるレヴィ=ストロースの思想「構造主義」です。今回は、弁護士・人事責任者を経て、現在は哲学・歴史の探求と発信を続ける品川皓亮さんを案内役に迎え、探っていきます。
クロード・レヴィ=ストロースさん文化人類学者・哲学者
1908~2009年。20世紀のフランスを代表する文化人類学者・哲学者。ベルギー・ブリュッセルで生まれ、フランス・パリで育つ。高校の哲学教師としてキャリアをスタートさせたのち、サンパウロ大学(ブラジル)に社会学教授として招かれ、文化人類学・民族学の研究を開始。 ブラジルでのフィールドワークをもとに『悲しき熱帯』などを著し、多様な文化のなかに共通のパターンを見出すことで、西洋中心主義的な考え方を批判した。なかでも、『野生の思考』は、1960年代に始まった「構造主義ブーム」のきっかけとなった。
案内人品川皓亮(しながわ・こうすけ)さん1987年、東京都生まれ。京都大学法科大学院を修了後、弁護士としてTMI総合法律事務所で勤務。その後、転職・人材事業を行う株式会社LiBに転職し、2,000人以上の転職支援に携わる。人事部門の責任者を経て、株式会社COTENで歴史や女性の社会参与に関する調査を実施するかたわら、自身で『日本一たのしい哲学ラジオ』を発信。ApplePodcastの哲学カテゴリーで1位を獲得する。近著に『資本主義と、生きていく。』(大和書房)のほか、『日本一やさしい法律の教科書』(日本実業出版社)など。
「あの人だけずるい」は、本当に個人の問題?
以前、坪谷邦生さんとの対談でも「葛藤の多い人事に、いま必要なのは哲学」というお話を伺いました。哲学や現代思想は、人事・労務の現場が抱える課題にどんな示唆を与えてくれるのでしょうか。
品川さん
まず正直に言うと、哲学は万能の薬ではありません。組織がうまくまわっているときは、わざわざ持ち出す必要もないと思っています。ただ、「これ以上どうすればいいんだ」と袋小路に陥ったとき、哲学や現代思想には思考を揺さぶり、無意識のうちに前提としていたことに気づかせてくれる力があります。
課題があって、原因を分析して、打ち手を打つ——そのフレームワークでうまくいかないとき、「そもそも課題の設定が違うんじゃないか」という視点を与えてくれる。それが哲学の使いどころだと思っています。
今回取り上げるのはレヴィ=ストロースの「構造主義」です。組織や人事の課題を考えるうえで、構造主義はどんな視点を与えてくれるのでしょうか。
品川さん
構造主義を一言で説明することは難しいですが、今回のテーマとの関係でいうと、私たちはつねにある特定の社会に属しており、その条件が私たちのものの見方や考え方を規定していると考える立場だということができます。私たちは、誰もが自律的で自由な個人として意思決定をしていると思いがちですが、構造主義は、その裏側にある「見えないルール(=構造)」によって大きく影響を受けているのではないかという示唆を、私たちに与えてくれます。

「制度を整えるほど不公平感が増す」という問題に当てはめると、「いい制度なのに、あの人たちはなぜ不満をもつのだろう」と個人に目を向けるのではなく、「社会や組織のどんな構造が、そのような分断を生んでいるのか」を問う。それが構造主義的な発想です。

たしかに、従業員それぞれに向けていた視点を、社会や組織の構造という一歩引いたところから着目するだけで、考え方や施策は変わってきますね。
品川さん
そうなんです。行き詰まったと思っていた袋小路も、一歩引いて構造から見ると「あ、ここに分岐点があった」と気づいて、別のルートに戻れることがある。
たとえば、育児・介護のための休暇を例にしましょう。「あの人だけ優遇されているのでは」という不満が上がっているとき、構造から見ると「休みが少ない」「人員が足りない」といった職場全体の余裕のなさが根本にあるかもしれません。また、そういった不満の一部は、社会的な制度のひずみや不備に起因している可能性もあります。
そうであれば、個別の制度をいじるより、有給休暇の取得促進や人員配置の見直しなど、まったく別のアプローチがみえてきます。
構造主義は人類が袋小路に陥った結果、生まれた⁉
そもそも、構造主義はどのような背景で生まれたのですか。
品川さん
構造主義を理解するには、思想史を少しだけ知っておく必要があります。実存主義や構造主義といった20世紀の思想は、2000年以上に及ぶ長い思想史のなかで人類が“袋小路”に突き当たった末に登場したものだからです。細部は省いて大きな流れを振り返ってみましょう。
- 古代ギリシア哲学(紀元前6世紀ごろ〜):ギリシア神話の世界から距離をとり、ソクラテスやプラトンらが「理性」による合理的な真理探求を始めた時代。
- 中世(5〜15世紀ごろ):キリスト教が強い影響力をもち、「神による啓示」が重んじられた時代。理性も重視されたが、あくまで神の真理を理解するための道具だった。
- 近代(17世紀〜):ガリレオの「地動説」やニュートンの「万有引力」といった科学革命の影響もあり、哲学が神から離れ、あらためて理性による真理探求がさかんになった。「知は力なり」の時代。
- 産業革命以降(18世紀半ば〜):資本主義が勃興し、社会はどんどん便利に、豊かに発展していった。一方で資本主義の矛盾も噴出し、19世紀中ごろにはマルクス主義が台頭。「資本主義の次は共産主義へ」という思想も生まれた。
理性を信じ、発展を続けてきたわけですね。
品川さん
しかし、その後の20世紀前半に起きたのが、2度の世界大戦や深刻な民族闘争です。そうして、人々は気づいたんです。「理性を信じて、科学を信じてここまで進んできたけれど、私たちは本当に幸せになったのか?」と。まさに、世界は「袋小路」に立たされたわけですね。こうした問いは、レヴィ=ストロースだけでなく、多くの20世紀の知識人が共有していたものです。

そこで登場したのが?
品川さん
構造主義……といいたいところですが、その前にもう一人だけキーパーソンを紹介させてください(笑)。
第二次世界大戦前後から活躍したのが、20世紀を代表するフランスの哲学者・作家のジャン=ポール・サルトルです。レヴィ=ストロースと同時代人である彼は「実存は本質に先立つ」という「実存主義」を提唱し、世界中から熱狂的な指示を得ました。
彼の実存主義において、人間は望まずともこの世に生まれ(実存し)、その後に自由な選択を通じて自ら「本質」をつくり上げていくと捉えます。「本質」は生を受けたときから備わっているのではなく、個々としてなりたいものになるために選択と行動を通して現実化していくものだという考え方です。
社会はこれからも進歩が止まらない。また世界大戦のような惨事が起きるかもしれない。それをただ見ているくらいなら、あえてその世界に身を投じて、現状を少しでもよくしていこう、自分自身がなりたい自分になろうと訴え、当時の人々を鼓舞したんです。
現代のビジネスパーソンにも共感する人が多そうです。
品川さん
そうなんです。僕も、サルトルの意見に共感することが多いんです。
一方で、サルトルの実存主義は「進歩主義」的な要素をはらんでいました。進歩主義的な発想とは、歴史を「野蛮から文明へ」「低段階から高段階へ」というように、人間社会は理想目標(自由、合理性、豊かさなど)に向かって進歩していくべきであるという考え方です。平たく表現すると、発展していくことが「正しく」て、そこに向かっていない人や社会は「劣っている」と考えたのです。
これに異議を唱えたのが、レヴィ=ストロースです。
レヴィ=ストロースはサルトルのどのような点を批判したのでしょうか?
品川さん
レヴィ=ストロースが批判したのは、「西洋の文明社会は進んでいて、そうでない社会は劣っている」という前提です。
彼は人類学者として南米などの原住民の(それまで「未開」と考えられてきた)社会を研究するなかで、一見すると無秩序に見える「未開」社会の慣習や制度にも、文明社会と共通の構造が内在していることを見出しました。この見方や思考をまとめた著書が、彼の代表作の1つ『野生の思考』です。
たとえば、彼はさまざまな部族の婚姻制度やインセスト・タブー(近親相姦)の規則*を調べ上げました。また、彼らがもつ神話の構造を分析し、ストーリーのパターンを抽出して比較していきました。
その結果、レヴィ=ストロースは、それまで「未開」とか「野蛮」と思われていた社会には、驚くほど複雑で精緻な「構造」が見てとれることを示しました。さらに驚くべきことは、その「構造」は、西洋文明が誇っていた数学の最新の理論にも通じるものでした。レヴィ=ストロースは、「未開」社会の文化や神話に見られる思考様式と、西洋近代文明を支える思考様式に、共通の構造が存在することを示したということもできます。
レヴィ=ストロースは、「未開」社会の文化や神話に見られる思考様式にも独自の体系性があり、西洋との単純な優劣関係では捉えられないと考えました。つまり、「文明」と「未開」の間に優劣があるのではなく、その表れ方が異なるにすぎないということです。
こうした視点は、当時広く共有されていた進歩主義的な見方に対する重要な問い直しとなりました。
*文化人類学において、親同士が「異性のきょうだい」(兄と妹、姉と弟)であるいとこ同士を、「交叉イトコ」と呼びます。他方で、同性のきょうだい(兄弟・姉妹)の子であるいとこ同士は「平行イトコ」と呼ばれます。「交叉イトコ婚」とは、交差イトコ同士の婚姻(具体的には、父親の姉妹の子供、または母親の兄弟の子供との婚姻)のことを指しています。
サルトルとレヴィ=ストロース、2人の視点を上手に使う
思想史を振り返ると、サルトルは「こうあるべき」を現実化していく力、レヴィ=ストロースはその前提自体を疑う視点を与えてくれると感じました。先ほど「不公平感の問題も構造から見ることがヒントになる」とおっしゃっていましたが、あらためて人事・労務の現場ではどこを参考にできるでしょうか。
品川さん
基本的に人事・労務の方々は、経営層の意見や主張をきちんと理解したうえで現場に伝えていくポジションを担います。そのため「これは正しいんだ」「やらなければいけないんだ」と鼓舞する、いわば“サルトル的”な思考に陥りやすい気がします。
施策が増すほど「施策を理解してくれる人・してくれない人」「制度で配慮されるべき人・負担する人」と、物事を対立する2つに分けて考えてしまいやすくなる。レヴィ=ストロースにとっても、人間のこうした「二項対立」という思考パターンは、重要な意味をもつものでした。
構造を疑わずに進んでいると、気づかないうちに袋小路に入り込んでしまうわけですね。
品川さん
はい。そうしたときにこそ、構造主義の考え方は役に立ちます。SmartHR Mag.で男性育休取得率についてお話しした際、取らない個人の意識の問題としてではなく、社会規範や職場の評価制度、家計の構造など、男性社員を取り巻く「見えないルール」を問い直しました。
一度、構造を俯瞰して見てみると、すぐに解決策は見つからなくても、アプローチは大きく変わっていくはずです。
構造から見ると、打ち手の選択肢が広がりそうですね。
品川さん
会社経営において、ときには「1つの前提」つまり、会社が掲げるミッションに向かって物事を進めるべきフェーズもあると思います。ベンチャー・スタートアップ企業なら、“サルトル的”にまずは全員で同じ方向を見てどんどん成長していくべきです。サルトルの哲学は、「ミッションを達成することで、世の中をよくしていこう」「あなたの人生も充実させていこう」という、まさに上り調子の会社にぴったりな思想です。
ですが、ある程度成長してくると、構造主義的な考え方が必要になってくる場面もあるでしょう。サルトルのように啓蒙していくべき段階もあれば、あるいはレヴィ=ストロースのように一度立ち止まり、「突き進むことで、見えなくなっているブラインドスポット(死角)はないか?」と見直すべきタイミングもあると思います。ですので、人事・労務に携わる人たちは、サルトルとレヴィ=ストロース、2人の視点をもっているといいのかなと思います。

最後に、これから哲学を勉強したいと考えている人事・労務の方にメッセージがありましたら、お願いします。
品川さん
構造主義に限らず、哲学の魅力は社会的に「常識」や「当然」とされていることに対して、「本当にそうなのか?」という視点をもてる点です。
人事・労務の方は、男性育休取得率の向上、女性活躍、障害者雇用率、法改正による個別対応など、毎日がめまぐるしいと思います。そのなかで「なぜやるのか?」と一度立ち止まって考える“隙間”をつくる。それは遠回りではなく、よりよい前進のために必要な時間です。
レヴィ=ストロースが2000年以上の思想史に楔を打ち込んだように、哲学を学ぶことで「自分が無意識のうちに前提としていたこと」に気づく瞬間があります。その瞬間、目の前の景色が少し変わる——今回のお話が、そのきっかけになれば嬉しいです。

今回の案内人・品川さんの新著
今回、構造主義について案内してくださった品川皓亮さんの新著『資本主義と、生きていく。~歴史と思想で解き明かす「構造的しんどさ」の正体』(大和書房)が発売中です。

社会の構造や規範がいかに私たちの働き方・生き方を規定しているかを、歴史と思想の視点から解き明かした一冊。本記事で触れた構造主義的な視点を深めたい方にもおすすめです。ぜひチェックしてみてください。
(企画/長島 啓喜、取材・文/土橋水菜子、POWER NEWS編集部、写真/横関一浩)







