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【悪例から学ぶ】“経営戦略と人材戦略”をつなぐ実践法|実務ベースで考える人的資本経営の進め方 #06

公開日

この記事でわかること

  • 経営戦略と人材戦略をつなぐための考え方
  • 人材戦略立案時に欠かせない3つの留意点
  • 施策検討時に考慮するべきKPIと計測内容
目次

人的資本経営では「経営戦略と人材戦略をつなぐ意思決定がもっとも重要である」といわれます。前回は、ある想定企業の経営方針から「どのような人材戦略が想定されるのか」「人材戦略を想定するうえでの注意点」を考察しました。連載第6回目は、2023年の3月決算の最新の開示事例の分析を行った上で、見えてきた架空企業の悪例をとくに主題とし、「経営戦略と人材戦略をつなぐ方法」を紹介します。

※実際に存在した企業の開示事例をもとにしていますが、記事への記載用に事例は抽象化しています。

人的資本の情報が開示された現在、改めて「そもそも人的資本経営とはどのような考え方・方法論で行うのが望ましいか」を振り返る必要があると考えます。

経営戦略と具体的に結びついた人材戦略が重要〜最新開示事例より~

人的資本経営では「経営戦略と人材戦略をつなぐ意思決定」が重要であるといわれます。経営戦略と人材戦略をつなげることは、人的資本経営において最も重要な問題といってよいでしょう。

人的資本の情報開示が法制化され、2023年3月決算の企業については、すでに有価証券報告書で2,000社程度が人的資本の情報が記載された有価証券報告書を開示しています。また、とくに女性活躍推進法に関しては、厚生労働省の女性活躍推進データベースで、4万件以上の上場・非上場企業の情報開示がされています(2023年7月末現在)。

筆者の感覚として、有価証券報告書について、以下の感想を抱きました。

  • 40%程度:最低限の数行程度の項目名のみの開示にとどまっている
  • 15%程度:非常に優れた充実した内容
  • 45%:リスキリングによる育成計画・働き方改革や健康経営の記載など、従来の有価証券報告書にあったような一部の施策紹介がされている形。人的資本の情報開示自体は意識しているものの、言及する内容や目標設定に大きく課題がある
筆者が閲覧した人的資本情報が掲載された有価証券報告書の感想。本稿では「人的資本経営とは何か?」という基礎的な内容ではなく、「充実した開示」「多少意識しているが、量が少なく誤解も多い開示」の改善について言及しています

今回の内容は、「充実した開示」「多少意識しているが量が少なく誤解も多い開示」のうち、とくに個別の法令や制度上の開示課題ではなく、目につく人材戦略の課題整理について記載したものです。

個別の法令や政策上の開示課題とは、「男女賃金差などの分析の方法」や「ジョブ型の人事制度の設定方法や目標化」、「健康経営や働き方改革の情報整理」などですが、これらは個別の政策などの知識が課題になるため、今回は触れません。

これら個別の内容も重要ですが、開示事例を見ていると、最も重要なのは「人的資本経営における、経営戦略とつながった価値向上のための人材戦略が立てられているか」であることを痛感します。

これは、「どのような制度を用いればいいか」、「法令や制度を正確に理解するかどうか」「どのシステムやキャリアカウンセリング制度を使うか」などの個別方法論とは基本的に一切関係ありません。

人材戦略が洗練されていて一貫性がある開示もなかにはあります。しかし、記載が充実していて、量的には10%以上の優れた開示に見えるとしても、「経営のどういった課題を」「どのように解決するために」「人材戦略がどういう位置づけで重要なのか」という内容が抽象的な企業も多いと感じます。

経営戦略とつながった人材戦略が検討されていなければ、ファクトを把握していたとしても、目的が不明瞭で形式的な開示になってしまいます。かつ開示事例を見ると、その点が誰でも感じるような一番の差になるのだと実感しました。

「経営戦略と人材戦略をどのようにつなげるか」という根本に立って、

  • ダイバーシティに関する義務的な開示事項(女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女賃金の差など)
  • 人材育成の方針
  • 労働慣行に関する方針やエンゲージメントの分析

が位置づけられなければ、全体としてどのような状態なのかの理解は難しくなります。そのため、さまざまなツール活用や特定の人事施策を実施しても、効果のない人材戦略・意味のない開示となりうるのではないでしょうか。

人材版伊藤レポートや人的資本可視化指針における「経営戦略と人材戦略をつなぐ」とは?

「経営戦略と人材戦略をつなぐ」ことは、人的資本経営の中心にある最も重要な考え方です。「人材版伊藤レポート」「人的資本可視化指針」にも、人的資本経営を定義するような箇所に、「経営戦略と人材戦略をつなげる」という趣旨の内容が記載されています。

経営層・中核人材に関する方針、人材育成方針、人的資本に関する社内環境整備方針などについて、自社が直面する重要なリスクと機会、長期的な業績や競争力と関連付けながら、目指すべき姿(目標)やモニタリングすべき指標を検討し、取締役・経営層レベルで密な議論を行った上で、自ら明瞭かつロジカルに説明すること

上記の「自社が直面する重要なリスクと機会、長期的な業績や競争力と関連付けながら」という記載が、「経営戦略と人材戦略をつなげる」ことに当たります。しかし、「経営陣がよく検討する」ことのみが強調されているように見え、今ひとつ具体的な施策は見えてこないように感じられます。

「経営戦略と人材戦略をつなぐ」3つの留意点

筆者は人的資本経営の実施や開示シミュレーションにおいて、プロセス含めてさまざまな企業の方と検討してきました。その結果として、以下の3つの留意点があると考えています。

  1. 中長期の経営戦略と対応した人材戦略とは何かを考えて構築する
  2. PLベースの人材配置の最適化や効率化だけでは人材戦略といえない
  3. 労務ルール整備などの目標を抽象化させず、経営戦略とのつながりを明確化する

架空企業・B社の悪例から考える人材戦略の改善点

前回は、架空の企業であるA社の経営戦略から人材戦略を立案しました。今回はより理解しやすく考えるために、架空企業・B社の人材戦略をもとに、「よくない人材戦略の何がよくないのか」を考えてみましょう。下記は、最新の有価証券報告書などを読んだうえで、「人材戦略」として言及されていることが散見された内容を下地にして、事例としてまとめたものです。

  • B社の人材戦略
    • グローバル戦略を進めるためにM&Aを実施し、体制によく配慮して構築する
    • 事務部門のよりよい状態を目指し、人件費の合理化と生産性向上を進める
    • より働きやすい環境を目指し、労基法などを遵守してやる気にあふれた状態を実現する

改善点1:中長期の経営戦略と連動した人材戦略の立案

まずは、グローバル戦略についてです。

  • B社の人材戦略
    • グローバル戦略を進めるためにM&Aを実施し、体制によく配慮して構築する

この企業では中長期の観点でグローバル戦略を進めるようですが、対応策は「M&Aを実施し、体制をよく配慮して構築する」としています。

これは体制整備のみの言及であるため、戦略内容を中長期の観点で到達したいKPIを設定したうえで、人材面で検討する必要があるでしょう。改善には、先述の「3つの留意点」のうち「1」が参考になります。

  • 「経営戦略と人材戦略をつなぐ」3つの留意点
    1. 中長期の経営戦略と対応した人材戦略とは何かを考えて構築する
    2. PLベースの人材配置の最適化や効率化だけでは人材戦略といえない
    3. 労務ルール整備などの目標を抽象化させず、経営戦略とのつながりを明確化する

グローバル戦略に対応した人材の能力をどのように育成していくか。さまざまな世界の文化に対応できるような環境を整え、世界市場に進出しようとする顧客企業との並走が必要であることは、人材育成における高度な課題といえるでしょう。

人材育成には、どのような人材・環境・風土が必要なのかが重要であり、「M&Aで体制を構築する」ことは前提ではあるものの、各論までを考慮した人材戦略の中長期的な視野をもてていないと言えます。

改善点2:ポジティブな施策の検討と実施

またB社の人材戦略には、以下のような記載もあります。

  • B社の人材戦略
    • 事務部門のよりよい状態を目指し、人件費の合理化と生産性向上を進める

これはまさに「PLベースでの人材配置の最適化や合理化」です。合理化は当然否定されるものではなく、効果性もあるとは思います。しかし、明らかにリストラなどの財務観点、あるいは形式的な効率化向上のみであることが問題といえるでしょう。

この改善は、「3つの留意点」の2番目が参考になります。

  • 「経営戦略と人材戦略をつなぐ」3つの留意点
    1. 中長期の経営戦略と対応した人材戦略とは何かを考えて構築する
    2. PLベースの人材配置の最適化や効率化だけでは人材戦略といえない
    3. 労務ルール整備などの目標を抽象化させず、経営戦略とのつながりを明確化する

PLベースの無駄なコストカット自体は有効かもしれませんが、この戦略からは戦略的な価値向上の観点が見えてきません。

中長期におけるプラスの視点が必要であるため、事務部門について、より高付加価値な影響を及ぼし得る戦略の考察が欠かせません。また、人材戦略の基軸にPLベースの人材配置の最適化を据えるのであれば、通常は事務以外の部門も含まれてくることが多いと考えられます。

さらに、「人材や組織のよりよい状態とはどのようなものなのか」「どのようなエンゲージメントとやる気、当事者意識の状態で働けばよいのか」など、ポジティブな中長期施策も考慮するべきでしょう。

事務部門についても、単にコストカットや効率化だけではなく、「ライフステージや特性に応じた人材の活躍を支援できているのか」という観点での検討も有効です。また、キャリアアップを社内で図るべく、「人材をどのように計測して後押ししていくか」の視点も有効です。これがダイバーシティ・インクルージョンにおいて想定される人材戦略ではないでしょうか。

改善点3:リスクマネジメント観点での具体的な対応策の検討・実施

B社は「やる気にあふれた状態の実現」を目的として、労働慣行やコンプライアンス改善の戦略を立案しています。

  • B社の人材戦略
    • より働きやすい環境を目指し、労基法などを遵守してやる気にあふれた状態を実現する

労務ルール整備などの目的を「働きやすい」「やる気にあふれた状態を実現する」と規定している企業が一般的に多いです。これ自体は否定されませんし、ESG観点での人権や社会責任の観点でも、このような目標設定はあり得ると思います。

しかし、B社のグローバル対応や人材の高付加価値化を推し進める過程で、積極的な施策を実施していくと、必ずリスクマネジメントの課題が付随するものです。このような課題への対応が、最も重要なリスクマネジメントの観点ではないかと考えられます。

上記課題の改善には、「3つの留意点」の3番目がヒントになるでしょう。

  • 「経営戦略と人材戦略をつなぐ」3つの留意点
    1. 中長期の経営戦略と対応した人材戦略とは何かを考えて構築する
    2. PLベースの人材配置の最適化や効率化だけでは人材戦略といえない
    3. 労務ルール整備などの目標を抽象化させず、経営戦略とのつながりを明確化する

部署異動や技能向上を図る場合、過重労働やマネジメント不全によるパワーハラスメントなどの問題が想定されます。そのため、施策実施に伴って想定される主要なリスクマネジメント課題を仮定し、積極的な防止策の検討が重要となります。

また、こうした想定される労務上の変化に対して、防止策や現状の数値(残業時間・ストレスチェック結果・生産性など)を開示したうえで、想定される変化に対応した目標を設定し、モニタリングしていくことなどは、労働慣行や健康安全の目標設定の基本的な方針になってくるるでしょう。

リスクマネジメント観点での環境整備の検討が重要

人的資本の情報開示を見た本音は、育成目標やダイバーシティ上の数値は配慮されている企業が多いのですが、エンゲージメントなどとともに、とくに労務管理領域の戦略的な連動が図られている企業が本当に少ないと感じています。

全社的なリスクマネジメントやコンプライアンスの検討時は、「働きやすい」「やる気にあふれた状態を実現する」という目的意識だけでは不十分です。「どのようなリスクが増大しそうか」というリスクマネジメントの全体的な考慮が必要であり、全体観のなかでの分析や優先順位に基づいた環境整備の検討が重要です。

リスクマネジメントの根本は、「価値・戦略に対する危険性や負荷、公的なルールへの抵触などの観点でどのようなリスクが生まれ得るか」を戦略の一環として検討・対応することです。

こうした検討は戦略の実効性を高めることであり、戦略の実施の半分を成すと考えられます。そのため、人事・労務上の国内の知見や、今までの制度の流れへの理解、安全性や健康などに関する知見が欠かせません。

「各論も意識した具体性」が人材戦略構築のカギ

今回は、「よくない人材戦略を修正する」という観点で人材戦略を検討しました。これは、人的資本経営において、人材戦略を構築するための実務で重要な観点と考えられます。今回ご紹介した内容を参考にして、自社の人材戦略について効果の高い施策を検討してみてはいかがでしょうか。

Q&Aですぐわかる!人的資本開示完全ガイド

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