鍵はユーモアに?パラドキシカルリーダーシップを発揮するリーダー育成
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ビジネス環境の不確実性が増すなか、組織のリーダーには「相反する要求」のバランスをとる力が、いっそう求められています。短期的な売上と長期的なパーパスの実現、既存事業の安定と新規事業による変革、トップダウンと自律分散——。一見矛盾する要素を両立する「パラドキシカルリーダーシップ」を発揮できる人材を、どのように育成すればよいのでしょうか。
『両立思考: 「二者択一」の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカルリーダーシップ』の監訳者であり、パラドックス研究の日本における第一人者である関口倫紀さんに伺いました。
京都大学経営管理大学院副院長、大学院経済学研究科教授(兼任)
大阪大学大学院経済学研究科教授等を経て2016年より現職。専門は組織行動論および人的資源管理論。欧州アジア経営学会(EAMSA)会長、日本ビジネス研究学会(AJBS)会長、国際ビジネス学会(AIB)アジア太平洋支部理事、学術雑誌Applied Psychology: An International Review共同編集長、Asian Business & Management副編集長、European Management Journal副編集長等を歴任。共編著書に『国際人的資源管理』(中央経済社)、共監訳書に『両立思考 「二者択一」の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカルリーダーシップ』(日本能率協会マネジメントセンター)がある。
矛盾を“解消”ではなく“乗りこなす”リーダーシップ
はじめに、パラドキシカルリーダーシップの定義について教えてください。
関口さん
前提として「パラドックスとは何か」を説明する必要があります。経営学で扱うパラドックスという概念は「相互に存在し、長時間持続する、矛盾していながらも相互依存性のある要素」と定義され、以下の特徴があります。
・矛盾・対立
・相互依存性
・持続性
たとえば「短期的利益を出さないといけないけれど、長期的な繁栄のために投資もしたい」という状況を考えてみましょう。
リソースが限られているとき、短期的利益の創出と長期的な繁栄のための投資は矛盾もしくは対立しています。ですが、短期の成功が長期的な繁栄につながりますし、長期的な繁栄を目指した投資が後になって短期的な利益に結びつくという点で、相互に依存する関係にもあります。そして矛盾かつ相互依存した関係が解消されることなく持続的に続いている。こうした特徴を備えた状況をパラドックスといいます。
一見、特殊な状況に感じるかもしれませんが、組織でマネジメントを実践したり、リーダーシップを発揮したりする際に当たり前のように存在するものです。
リーダーやマネージャーが誰しも直面するものなのですね。
関口さん
矛盾や対立が一切ないのなら、マネジメントやリーダーシップは極めて簡単なものになってしまうでしょう。そうではなく一見矛盾するものをやりくりすること自体が、マネジメントやリーダーシップの本質を表しているともいえます。
「何かうまくいかない」状況において、パラドックスそのものを認識する。一見対立してみえる要求に対して相互依存性を見出し、どちらかを捨てるのはおかしいのではと発想する。両方を諦めないで追求する。英語でいうと「navigate」ですね。『両立思考』の日本語版では「乗りこなす」と翻訳されています。
「矛盾を乗りこなすリーダーシップ」になぜ人々の注目が集まっているとお考えですか?
関口さん
これまでも優れたリーダーは自然とパラドキシカルリーダーシップを発揮してきたと思います。ただ、社会や市場の複雑性や曖昧性が高まるなか、より注目が集まっているといえます。
VUCAの時代において、今企業には新しいものと古いものが同居している状況があります。その代表例が「成長のための新規事業」と「収益の柱である既存事業」です。新規事業を通した「攻め」と古くからある既存事業を通した「守り」では必要な人材もルールもカルチャーも相反することがしばしばです。しかし企業は相反する要素を同時に追求していかなければなりません。一朝一夕に切り替えることは不可能だからこそ、矛盾を両立する思考が必要不可欠なのです。
加えて、ダイバーシティの観点もあります。グローバル化が進むなか、組織の多様性がいっそう重要になっています。ダイバーシティの推進により、創造性や変革の可能性が広がるといわれています。
一方で、組織の求心力が失われてバラバラになってしまうリスクもあります。経営目線では統一感を保ちたいため、同質的な人たちのほうがマネジメントしやすいと考えがちです。このように「多様性による革新」と「統一感の維持」などの矛盾が生まれ、必然的にパラドキシカルな関係が増える、あるいは顕在化するのです。
パラドックスに気づき、肯定的に捉えることが第一歩
パラドキシカルリーダーシップを発揮する人材はどう育成できるのでしょうか?『両立思考』の監訳者あとがきでは、パラドックスの認識と両立思考について4つの実践ポイントを挙げていました。関連してリーダーがパラドキシカルリーダーシップを発揮するためのポイントを伺えますか?
関口さん
監訳者あとがきでは、以下の4つの実践ポイントを挙げました。
- 課題の背後にあるパラドックスを認識するために、エスノグラフィーを行ってみる
- ABCDシステムを活用し、両立の問いを立てる
- 組織で対話を通してパラドックスの認識や両立の問いを共有する
- パラドックス・マインドセット関連尺度を用いて組織の状況を見立てながら試行錯誤し、両立思考を組織のなかに根付かせていく
(引用)ウェンディ・スミス、マリアンヌ・ルイス - 『両立思考 「二者択一」の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカルリーダーシップ』
はじめに重要なのは(1)に沿ってリーダー本人がパラドックスを認識することです。一見当たり前に思えますが、実はリーダーがパラドックスそのものに気づけていないケースは少なくありません。「何となくうまくいかないな」と感じていても原因がわからない、あるいは「対立がある」と認識していても、背後にある相互依存関係までは理解できていないのです。
そこで、まずは身の回りにある「うまくいかないこと」をパラドックスの視点で捉えることが重要です。エスノグラフィ*という手法を用いて「何が起こっているのか」をなるべく偏見を外して、素直に見つめるのです。
※特定の文化や社会集団の日常生活や行動を観察し、彼らの視点から理解する質的調査手法。この方法では、インタビューやフィールドワークを通じて、参加者の経験や価値観を深く掘り下げます。
たとえば、よくある営業部門と製造部門の対立を考えてみましょう。営業部門は「せっかく案件を獲得しているのに、製造が追いついていない」「営業側の事情を理解してくれていない」と感じている。製造部門も「平準化してコスト管理して生産したいのに、単発的な仕事ばかりもってくるので不効率」と不満を抱えている。
エスノグラフィをとおして互いの言い分をじっくり聞いてみると、受注から納品までの工程管理システムが十分に整備されていないなど別の課題が隠れていることもある。実は相手のことを嫌っているわけではなくて、別の要因でうまくいっていないケースも多いです。
京都大学経営管理大学院が実施する「パラドキシカル・リーダーシップ養成講座」では、参加者がエスノグラフィを通じた観察を他の受講者に伝えて、互いにフィードバックします。
さらにシステム図を作成します。観察で得られた生の情報を、構造的に捉え直すのです。パラドックスが生まれるメカニズムを、どのようなループが発生しているのか、システム思考の考え方を用いて図示することで、より深い理解につながります。
※システム思考:物事を個別の要素ではなく、それらの相互関係や全体の構造として捉える思考法。
目の前の状況を丁寧に観察することが重要なのですね。
関口さん
私たちの研究では、パラドックスの観察によって「パラドックス・マインドセット」が向上することもわかってきました。パラドックス・マインドセットとはパラドックスそのものを肯定的に捉え、そこから生まれる力を前向きに活用して創造性を高めようとする考え方です。パラドキシカルリーダーシップの土台となる重要な要素です。
・複雑な状況をありのままの複雑さで捉える方法
・出来事を抽象化して関係性を見る方法
また、パラドックス・マインドセットを高めるには、相反する2つのアプローチの組み合わせが効果的なこともわかってきました。
研究では、上記の2つを同時に実践した人が最もパラドックス・マインドセットが高まっていました。つまり机上での論理的・抽象的な理解だけでは不十分で、複雑な現場の観察も欠かせません。両方に取り組むことが、パラドックス・マインドセットを育てるうえで重要なのです。
“ABCDシステム”による問いと“対話”でパラドックスを乗りこなす
2つ目の「ABCDシステムを活用し、両立の問いを立てる」についても伺えますか。
関口さん
書籍でも紹介されているABCDシステムとは、パラドックスを乗りこなしていくためのフレームワークの1つです。これを使って矛盾や対立について考えると、パラドックスを扱う感覚が身についてくると思います。
ABCDシステムは4つの要素で構成されています。
A:アサンプション(前提)
B:バウンダリー(境界)
C:コンフォート(感情のマネジメント)
D:ダイナミクス(動態性)
「A:アサンプション(前提)」と「C:コンフォート(感情のマネジメント)」は、パラドックスに対する考え方や感じ方にかかわる要素です。
Aは「パラドックスは当たり前に存在する」「パラドックスは役に立つ、乗りこなせる」という前提に立つことを指します。Cはパラドックス自体を楽しもうという状態に、自らの感情をマネジメントすることです。パラドックスに直面すると矛盾があるので、非常に気持ち悪い状態になります。そこに心地よさを見出すことが重要です。
「B:バウンダリー(境界)」と「D:ダイナミクス(動態性)」は、実際にチームや組織のあり方や構造にかかわる要素です。
Bは境界線を指します。「矛盾を両方追求する」といっても闇雲に右に行ったり左に行ったりするわけではありません。必ず行き過ぎないような境界線をつくる必要があります。たとえば企業においてはパーパスです。今向き合っている矛盾の両立が、パーパスと照らし合わせて必要なものなのかを考え、取捨選択することも大切です。
DはダイナミックのDです。環境そのものが次々と変化していくので、それに応じて右と左のバランスを変えていく必要があります。たとえば「今は既存事業のほうが有利な環境だから、リソースを多めに配分する。でも環境が変化したら今度は逆にする」など。セレンディピティ、つまり偶然に起こるチャンスをうまく捉えながら、動的に対応していくということです。
2つ目の「ABCDシステムを活用し、両立の問いを立てる」とは、ABCDシステムを活用して、実際に観察された矛盾に対する問いを立てることです。効果的な問いとして以下のような例が挙げられます。
A-アサンプションの問い
- 択一思考に陥って拙速な解決に囚われていないか
- 両立が必要であるという文脈を社内外のステークホルダーにどう理解してもらうか
B-バウンダリーの問い
- 全体がパーパスに立ち戻ることで何らかの行き過ぎを防ぐことはできないか
- パラドックスの両極を適切に分離してそれぞれの動きを促すことはできるか
C-コンフォートの問い
- ひと呼吸おいて、落ち着いた心持で今の状況を眺めるとどうだろうか
- 今の状況をそのまま受け入れ、味わいきってみると何が起こるだろうか
- より大きな目的や意義とつながると感じ方は変わるだろうか
D-ダイナミクスの問い
- 新しいアイデアを小さく実験するとしたらどう始められるか
- これを新たな変化へのセレンディピティだと捉えるとどうだろうか
- これまでの当たり前の中で手放さなければならないものがあるとすれば何だろうか
(引用)ウェンディ・スミス、マリアンヌ・ルイス - 『両立思考 「二者択一」の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカルリーダーシップ』
3つ目の実践ポイント「組織で対話を通してパラドックスの認識や両立の問いを共有する」では、組織内やチーム内でパラドックスを共有するのですね。
関口さん
リーダーの役割として、自分自身がパラドックスを意識するだけでなく、それをメンバーと共有することも重要です。なぜなら、共有されていないとパラドックスを乗りこなすためのリーダーの動きが「一貫性がない」とメンバーに誤解されかねないからです。「なぜ矛盾を追求しているのか」という理解を組織やチーム全体で共有する必要があります。
また、リーダーが捉えているパラドキシカルな状況が、必ずしも他のメンバーの認識と同じとは限りません。すり合わせを丁寧に実施することで、多様な視点から状況が見えてきます。この過程を通じて、リーダー以外のメンバーにもパラドックスに対する勇気やポジティブなマインドセットが醸成されていきます。
最後の実践ポイントである「パラドックス・マインドセット関連尺度を用いて組織の状況を見立てながら試行錯誤し、両立思考を組織のなかに根付かせていく」は、これまでの取り組みの進捗を測る段階です。エンゲージメントサーベイのような形で、パラドックスへの向き合い方の変化を診断し、状態を確認していきます。
人間が嫌う矛盾と対立。向き合う鍵は“ユーモア”にある
社内にパラドキシカルリーダーシップを発揮できるリーダーを増やしたい場合、実践をどのように組織に広げればいいでしょうか?
関口さん
まず社内のパラドックスについて話し合い、考えることからはじめるとよいと思います。パラドックスという言葉でなくても、矛盾でも両立でも構いません。
たとえば「古いものをちゃんと守りつつ、新しいものを作っていかないといけませんよね」と投げかけ「これってパラドックスじゃないですか」と問いかける。あるいは企業のCSRでいえば「社会貢献やカーボンニュートラルも目指さないといけない。でも、それをやると利益も減ってしまう。これもパラドックスですよね」という具合です。
ただし重要なのは、あまりシリアスに話さないこと。日常会話のなかでユーモアを交えながら「これパラドックスだよね」と言い合えるのが理想でしょう。そうすると組織にパラドックスという概念が浸透して、不安や恐れが徐々になくなっていきます。
そこまでいけば「じゃあ、どうしましょうか」を考える次の段階に進めます。矛盾や対立も存在するし、両方を捨てるべきではないという土台のうえで、建設的な議論をはじめられるのです。
なぜ「ユーモアを交える」ことが重要なのでしょうか?
関口さん
複数の研究でも「ユーモア」の重要性が指摘されています。パラドックスはネガティブな感情を喚起しますが、ユーモアはそれを和らげる効果があるのです。
人間は基本的に矛盾が嫌いです。そこで重要になるのが、先ほど話したABCDシステムの「コンフォート」、つまり感情のマネジメントです。矛盾を嫌う気持ちをどのように前向きに捉えていくか、ですね。
とくにジョークを交えることで状況を少し笑い飛ばせると、パラドックスに対する心理的なハードルが下がっていきます。実際、私が講演などでパラドックスの話をすると、参加者の方々が職場で「これってパラドックスだよね」と言いはじめるんですよ。最初は受けを狙って言うような感じでも大丈夫です。
まずは小さなワークショップでも構いません。「パラドックスが至るところにある」という理解を深め、それを解消するのではなく乗りこなしていく感覚を体感してもらう。これは綱渡りや自転車に似ています。綱渡りは止まると落ちてしまいますが、前に進みながら左右にバランスをとることで渡れる。自転車も止まっているときは不安定なのに、走りながらバランスを取ると安定しますよね。そうした感覚を実践を通じて得ていくことが、パラドックスを乗りこなす第一歩になるのではないでしょうか。