人事は「経営戦略と人材戦略の連動」をどう進めていくべきか 三井化学安藤氏から学ぶ「戦略的タレントマネジメント」

経済産業省により2020年9月に公表された「人材版伊藤レポート」、そして2022年5月にアップデートされた「人材版伊藤レポート2.0」を受け、人的資本経営への注目度はますます高まっている状況だ。そのような中、三井化学株式会社は、いち早く戦略的タレントマネジメントに着手し、人材版伊藤レポートで記されている“3つの視点”「経営戦略と連動した人材戦略の策定」、「As is-To beギャップの定量把握」「企業文化への定着」にも取り組んでいるという。

今回、同社の人材戦略をリードする専務執行役員 CHRO 安藤 嘉規氏をお招きし、株式会社SmartHR プロダクトマーケティングマネージャー 埜村 勇斗氏が、戦略的タレントマネジメントの背景や、経営戦略と人材戦略の連動のポイントを中心にお話を伺った。

※HRプロと株式会社SmartHRが共同で制作した資料、『人事は「経営戦略と人材戦略の連動」をどう進めていくべきか―― 三井化学安藤氏から学ぶ「戦略的タレントマネジメント」』から抜粋。許諾を得て転載しています。

安藤 嘉規氏 三井化学株式会社 専務執行役員 CHRO

1986年入社。システム部、労働組合執行部を経て、1993年より三井化学の根幹を支える主要事業の原料調達に携わり、海外プロジェクトに参画。その後、5年間、市原工場にて人事ライン職を経験。2005年にシンガポールへ赴任し、現地プラント向け主原料調達に加え、新規事業の立ち上げを起案。帰国後、事業企画、秘書室(社長秘書)を経て、2013年に人事部へ異動。2015年より人事部長、2021年より専務執行役員。2022年4月から現職。

埜村 勇斗氏 株式会社SmartHR プロダクトマーケティングマネージャー

大学院卒業後、デロイトトーマツグループやHR系のコンサルティング会社にて組織人事のコンサルティングに従事、その後HR系スタートアップの経営に参画。2020年にSmartHRに入社し、主に人事データや人材の活用に関する機能の企画や仕組みづくりを行う。

経営戦略と連動したグループグローバルでの人材戦略

埜村氏:本日は、三井化学様が取り組んでいらっしゃる人事施策を中心にお話をお伺いしたいと考えています。まずは、貴社が注力されている「戦略的タレントマネジメント」推進の背景について教えていただけますでしょうか。

安藤氏:「戦略的タレントマネジメント」をスタートしたのは、2016年度からです。当社はリーマンショックからの立ち上がりがなかなかうまくいかず、2011、12年度は最終利益が赤字になりました。その厳しい状況から立ち直る過程で、2014年度の中期経営計画で事業ポートフォリオを大幅に変換しました。それに伴い海外企業の買収を進めるなど、大きな経営戦略の転換に舵を切ったのです。

その戦略を実現していくにはグローバルレベルで経営者の育成・確保が必要となるため、2016年度からグローバルベースでの「キータレントマネジメント」を始動しました。2017年度には全社経営レベルで人材戦略の議論を始め、2019年度からはさらに人材戦略を完全に全社基本戦略に組み込んで毎年、経営レベルで議論するようになりました。

埜村氏:まさに経営戦略と連動した人材戦略だと思いますが、具体的にはどのように人材戦略を変化させていったのでしょうか。

安藤氏:大きく変わったのは「グループグローバル」という視点です。三井化学グループは連結ベースで約2万人、本体には7500人ほどの社員が所属しています。全体のうち1万人ほどが海外勤務ですから、グループグローバルでの人材施策は非常に重要です。

また、昨年度に策定した長期経営計画「VISION2030」においては、今年度実施する戦略ローリングの過程で、人事部門として各本部の戦略議論に入りこみ、各事業の人材ニーズについて可視化しようとしているところです。現段階では、企画系やM&Aを推進できる人材が不足していることは明確ですので、それをどのように可視化してAs is-To beギャップを埋めていくか。それが、足下の課題ですね。

人的資本の情報開示にも積極的に取り組み、人材の確保につなげる

埜村氏:長期経営計画「VISION2030」を策定されたとのことですが、こちらと連動して、どのような人材戦略を貴社では掲げていらっしゃるのでしょうか。

安藤氏:三井化学グループでは、人材戦略の中で2030年のありたい姿として、以下の3つを掲げています。

  • 社会課題に紐づく事業創出を実現する人材が、確保・育成・リテンションできている。
  • 人材のエンゲージメントを高め、組織の力に昇華させる企業文化に変革できている。
  • 当社グループの「人事ガバナンス」を整え、人的資本価値を社内外に発信できている。

埜村氏:人材戦略の1つ目に「人材の確保」を掲げていますが、日本の労働人口は減少傾向にあり、採用も困難になってきています。貴社ではどのようにして、人材の確保に取り組んでいらっしゃるのでしょうか。

安藤氏:当社では即戦力の社員を多く採用しています。いわゆるキャリア採用ですが、年々増加しており、今年は新卒採用を上回りました。しかも、即戦力人材の離職率も非常に低く推移しています。ただ、埜村さんがおっしゃるように採用の難しさはもちろん感じています。

化学業界は、サーキュラーエコノミーやカーボンニュートラルなど、近年特に様々な社会課題に直面している産業です。また、業界再編もあまり進んでおらず、各社が同じようなニーズに基づき、人材を採用しようとしています。

加えて、知名度が一般的に高いわけではないため、業界として他業種と比較し、採用市場において優位という訳でもありません。人材不足は、今後の経営上のネックともなり得る問題であり、だからこそ、「人的資本経営」を更に強化し、情報開示にもいち早く取り組んでいるところです。

埜村氏:即戦力採用が順調に増加されているとのことですが、その要因や離職率の低い理由に関してはどのようなものがあるとお考えでしょうか。

安藤氏:コーポレートガバナンスコードにも、定義されているとおりジェンダーとナショナリティにキャリア採用も加えた人材の多様化を人材戦略の柱の一つに据えています。離職率の低さについては、実際に即戦力人材の能力を発揮できる場があるからだと考えています。要職で活躍している人材も多く、採用活動をする上でデータとして示すことができるのも、優秀な人材に向けての魅力付けにつながっているのではないでしょうか。

埜村氏:情報開示というところでは、人材戦略の3つ目に「人的資本の『社内外』への開示」と記されています。社外に対して自社組織について発信することは、採用に非常に有効だと思います。貴社はこれまでもそのような外部への発信を積極的に行ってきたのでしょうか。

安藤氏:最近の統合レポートでは、人材戦略について大きく取り上げています。また、今回のような取材の機会も多く、例えば、当社のグローバル人材部長は今年度外部講演などに20回以上登壇する見込みです。9月には経済産業省主催による「人的資本経営コンソーシアム」が発足しましたが、私も企画委員会の一員として活動しています。

エンゲージメントサーベイで見えてきた「権限委譲・自律性」の高さ

埜村氏:2つ目の人材戦略についてもお伺いしたのですが、こちらはどのような背景で、「エンゲージメント」を戦略として取り入れられたのでしょうか。

安藤氏:背景としては、エンゲージメントの高い組織は業績も連動しているというデータが出ているからです。第2回目であった2021年度の調査では、グローバルに11言語でエンゲージメントサーベイを実施し、回答率も88%と高率でした。

埜村氏:エンゲージメントの向上を目指すうえでは、実際に貴社でどのような施策に取り組まれているのでしょうか。

安藤氏:エンゲージメントサーベイの結果を踏まえ、三井化学本体ではHRBP(ビジネスパートナー)が各部門のリーダーと相談し、またグループ会社においては各社の人事がトップと連携しながら改善施策を展開しています。また、グループ全体では全社戦略の浸透率が課題になったことから、「VISION2030」策定後、社長がグループグローバル全社の社員と接する機会を設け、戦略の浸透に取り組みました。

埜村氏:エンゲージメントサーベイを行うことで、新たに見えてきた貴社の特徴はありますか。

安藤氏:一般的に製造業では「安全」に関するスコアが高いのですが、三井化学ではそれに加えて「権限委譲・自律性」の項目が高く出ました。これは製造業では珍しく、当社の文化の一つだと思います。その点はこれからも大事にしていきたいですね。逆に「業績評価」や「キャリア機会」については厳しいスコアでした。そこで人事部門が全社ベースでの改善施策として、新しい仕組みづくりを進めています。

埜村氏:海外ではよくAppleとGoogleの組織比較がなされています。Appleはモノづくりをしているためトップダウンの文化が強く出ていますが、Googleはソフトウェアの会社であるため「権限委譲」と「自律性」が高い組織となっています。モノづくりの会社でありながら、「権限委譲・自律性」が高いというのは貴社ならではですね。

安藤氏:「権限委譲・自律性」が高い風土を表す活動として、当社では若手社員の有志が組織横断的にスタートしたオープン・ラボラトリー活動「MOLp―そざいの魅力ラボ―(※)」があります。もともと数名程度で始めた自主的な活動が、どんどん広がって様々なメディアで取り上げられたり、賞をいただいたりして、今では経営戦略に組み込まれるほどの活動となっています。

※さまざまな素材の中に眠っている機能的価値や感性的な魅力を、あらゆる感覚を駆使して再発見し、そのアイデアやヒントをこれからの社会のためにシェアしていく、三井化学グループのオープン・ラボラトリー活動。

埜村氏:そうした自律的にアイデアを形にしようとする人材が、「この会社で働き続けよう」と思える環境があるのは素晴らしいですね。

安藤氏:昨年度の当社社長賞を受賞した事業で、「デジPOS」というものもあります。これは、非接触・空中ディスプレイ技術をセブン-イレブン様のPOSレジに搭載するというものです。従来の当社のビジネス形態であれば、レジに使用する素材を販売するだけでしたでしょうが、本件は当社がプロジェクトをリードし、様々なパートナーさん、メーカーさんを巻き込んで事業化を進めました。この事業も、即戦力人材が中心となって開発しています。

「戦略的タレントマネジメント」がなぜ文化として根付くのか

埜村氏:ここからは、人材版伊藤レポートに記されている人材戦略に求められる3つの視点「経営戦略と連動した人材戦略の策定」、「As is-To beギャップの定量把握」、「企業文化への定着」についてもお伺いしていきたいと思います。まずは「As is-To beギャップの定量把握」に関連する部分についてお聞きしたいのですが、貴社では、今後の事業に必要な人材を見極めるために、どのようなデータを収集していらっしゃるのでしょうか。

安藤氏:現状はISO 30414の11領域58項目が、唯一の人的資本開示指標ですから、それに則ってデータを分析して、ギャップを明らかにしています。その分析結果をもとに、人的資本開示をどのように進めていくのかが、まさに当社が今後取り組むべきテーマです。今年度中にグループグローバル共通の人材システムが稼働予定で、人的資本開示につながるグローバルベースの人材データを集積できるようになると見込んでいます。

埜村氏:人的資本開示については、意識をしているものの、まだ様子見の段階という企業が多いと思います。その中で、貴社の企業規模でスピード感を持って進めていることは素晴らしいですね。次は、人材版伊藤レポートの3つの視点である「企業文化への定着」についてもぜひお伺いさせてください。貴社では戦略的タレントマネジメントが組織文化として定着しているということですが、これは容易なことではありません。なぜ、その文化が根付いていらっしゃるのでしょうか。

安藤氏:冒頭申し上げたとおり、6年前からキータレントマネジメントの仕組みを構築し、社内外で積極的に施策の周知に向けてプレゼンテーションを実施してきました。経営陣とも毎年ポジションの見直しやサクセッションプランの作成を行い、それをもとに各部署の人材委員会を開催していることも、文化を根付かせるうえで大きいと考えています。

また、実際のタレントマネジメント上で良い事例が生まれていることも一つの要因ではないでしょうか。例えば、ヨーロッパの地域統括会社で勤務していたドイツ人社員が、現在アメリカの地域統括会社に出向し、より高いポジションに就いています。法人・国を越えた異動は実務的にも大変ですが、そういう事例を一つひとつ積み重ねていくことで、戦略的タレントマネジメントの意識が醸成されるはずです。

さらに今後新しい人材システムが導入されれば、三井化学全体にどのようなポジションがあるのかを可視化でき、自らのキャリアを活かす機会がグローバルベースでグループ社員に見えるようになると期待しています。

「経営戦略と人材戦略」を連動させていくには

埜村氏:人材版伊藤レポートの3つの視点の中で、「経営戦略と人材戦略の連動」については最も難しいと考えています。貴社ではどのようにして実現に向けて進めていらっしゃるのでしょうか。

安藤氏:そもそも、人事部門の仕事は何のためにあるのかということですね。私自身、事業部門での経験がありますが、人事部門全体で、人事の戦略は常に事業戦略に連動して動くものだという意識が根付いているのだと思います。

先ほど2017年に初めて全社ベースで人材戦略を議論したという話をしましたが、その時に私は「この場では一般的な人事施策についての議論は省き、あくまで長期経営計画達成のためにどのような人材戦略にすべきかにフォーカスして話し合いたい」と経営層に伝えました。

もちろん、一つひとつの人事施策は重要なものですが、そこから始めると、いつまで経っても経営戦略と連動した人材戦略にはたどり着きません。当時、M&Aや新規プロジェクトなど、事業部では様々な動きがありました。まずはそれを達成するためのAs is-To beから議論をする必要があると考えたのです。

埜村氏:人事についての話題を他の戦略と連動させることを強調した上で、議論をされたのですね。ただ、どの事業部でも新しいことをする際、費用対効果の議論は不可避です。人事領域では後継者育成など、長期的な視点で取り組むべきこともありますが、どのように経営層に対して説得されているのでしょうか。

安藤氏:確かに、KPIの設定は難しいですね。ですので、人事施策だけを切り離して進めるのではなく、財務指標にどれだけ関連するのか、人事領域だけに限らず分析をすることが大切だと思います。当社でもエンゲージメントサーベイの実施は、各部署に理解してもらうまで、当初は時間がかかりました。費用はそれほど大きくないのですが、導入する意義や現場への負担を考えると、躊躇する声も社内にありました。しかし、それも、経営指標として必要だと説得して進めていきました。

単なる思い付きで新しいことに手を出しているのではなく、あくまで会社を成長させるためだというスタンスを貫くことは大切です。

埜村氏:確かに、そのスタンスで根拠を交えながら話をすれば、効果が出るまで時間がかかることにも投資しようという判断に経営層はなりますね。

安藤氏:冒頭でも話しましたが、10年ほど前に経営状況が厳しい時代がありました。そこから立ち直るためにも、エンゲージメントの向上や人の確保、リテンションが大切だと伝え続けてきたからこその現在の姿だと思います。今は経営が安定して好循環に入っていると感じますが、まだまだ課題は多いですね。

人事は自組織外の人や情報にもっと目を向けるべき

埜村氏:人的資本経営について語られる場は増えているものの、まだ人事担当者一人では事業や経営に介入できないという悩みを抱えていらっしゃる方もいます。最後にお伺いしたいのですが、そのような会社の人事部門や人事担当者が、貴社のような取り組みを推進するためには、どのようなことから始めるとよいでしょうか。

安藤氏:一足飛びに経営に入りこんでいくことは難しくても、情報を取りに行くことはできますよね。人事部門は、どうしても施策を部内で考えてしまいがちで、情報も内部だけでループすることがあります。しかし、自組織の外に目を向けて、必要な情報を持っている人に聞くことが大切なのではないでしょうか。

私は、人事部門外の社内、社外、化学産業外の人や情報になるべく多く接する機会を持つようにしてきましたし、部下にもできるだけそういう機会を設けるように伝えてきました。そうした積み重ねがあれば、「人事部も判っているな」と人事施策に取り組んでいくなかで、社内の目も変わってくるはずです。

埜村氏:人事部は内にこもらず、自社の事業やビジネス環境を知るためにもどんどん外に出ていくことが大事ということですね。確かに、経営と直接話をすることは難しくても、まずは社内の事業部に話を聞くのであれば、ハードルは高くなさそうです。

安藤氏:経営戦略と人材戦略の連動といった文化を根付かせていけば、人事から何かをお願いした際に、嫌だという社員はいないと思うんです。前回のエンゲージメントサーベイでは、「経営陣はワクワクするか」という設問に関しても課題がみられました。そこで人事部門では『ワクワク会』という場を設定し、社長他経営陣やMOLpの主催者など、社内の様々な部署からスピーカーを招いてワクワクする話をしてもらう取り組みを3年以上行っています。それも、声を掛けると皆さん「是非に」と快諾してくれます。やはり人事部門から積極的に働きかけることが大切ですね。

埜村氏:本日は人材戦略だけでなく、事業に関するお話も非常に多かったのが印象的でした。これこそ、経営戦略と連動する人材戦略を貴社が進めていらっしゃる証だと感じています。貴重なお話をお聞かせいただき本当にありがとうございました。

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