組織改革を実現するための「パーパス経営」の進め方〜慶應義塾大学・前野隆司 教授×新渡戸文化学園 平岩国泰 理事長〜
- 公開日
目次
日本の「働きやすさ」を前進させるため、働き方をアップデートした取り組みを表彰する「WORK DESIGN AWARD 2022」(主催:株式会社SmartHR)でグランプリを受賞した新渡戸文化学園。生徒の幸せだけでなく、働く先生たちのwell-beingも実現することで、教育界をはじめ、多くの企業からその手法が注目を集めています。
理事長就任以来、同学園の改革を推進している新渡戸文化学園 平岩国泰理事長と「幸福経営」の第一人者、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司 教授との「well-being」対談連載をお送りいたします。対談連載の第2回目のテーマは「組織改革を実現するための“パーパス経営”の進め方」です。
- 前野 隆司 氏
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 教授
1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、1986年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社入社。1993年博士(工学)学位取得(東京工業大学)、1995年慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て2008年よりSDM研究科教授。2011年4月から2019年9月までSDM研究科委員長。1990年〜1992年カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow、2001年ハーバード大学Visiting Professor。
- 平岩 国泰 氏
新渡戸文化学園 理事長
慶應義塾大学経済学部卒業後、株式会社丸井に入社し、経営企画・人事などを担当。2004年長女の誕生をきっかけに、放課後NPOアフタースクールの活動開始。グッドデザイン賞(4回受賞)他各種受賞。2013年より文部科学省中央教育審議会専門委員、2017年より渋谷区教育委員を務め、2019年に新渡戸文化学園理事長に就任。
現場の優れたアイデアを即断即決で採用
前野教授がティーチャーズスクールで先生方にお話しされたあと、どのような反応がありましたか。
平岩理事長
前野先生の講義後すぐに「ノー残業デーを導入できたらよいね」と、先生たちが話していました。私も前野先生の話を拝聴していたので、「すぐにつくろうよ」と話して実現しました。
前野教授
先生たちに幸せについて説明するだけではなくて、「皆さんの職場を幸せにするにはどうすればよいか」というアイデアを求めました。出てきたアイデアに対して「すぐにやろう」という決断の早さはかっこよかったですね。本当に幸せな職場であることがよく伝わってきました。
その場で出た先生方からのアイデアを理事長が即断即決されたんですね。
平岩理事長
先生たちは、よいアイデアを生み出しても、すぐに実践できないこともあります。教室では、一人ひとりが自分で運営しているのですが、チームで働く文化があまりなかったので、変えていきたかったという想いもあります。
前野教授
すばらしいですね。1つできたことで、「ほかのこともできる」とマインドが変わるきっかけになりますからね。それを目撃できた幸せな瞬間でした。
変革のカギは「すべての働く人の意識統一と、トップの実践力」
今のようなお話がなかなか出ない会社もあるかと思います。それはなぜなのでしょうか。
前野教授
変革をあきらめてしまう風土があるからではないでしょうか。ある会社のオンライン研修で、象徴的なことがありました。「これをやりたい」「でもわが社では無理だ」「結局、上が変わらないと無理だ」と、創業者が聞いたら泣くような議論をしているんです。大企業だと、社長までの間に多くのマネージャーがいるので、途中で「それはダメだ。幸せなんて甘いことを言うな」と発言する人がいると、「何を言っても無駄だ」とあきらめてしまうこともあるようです。
トップが「会社を変える」とコミットして、理念のレベルでwell-beingやハピネスを実践することが大事です。組織のどこかに強い力をもった抵抗勢力の人がいると、改革が難しくなってしまう。すべての働く人が意識統一して同じ想いを共有できていて、トップが実践してみせることが不足しがちですね。
理事長就任時に、まず理念づくりから着手した平岩理事長の視野の広さが、新渡戸文化学園さんの成功の要因と感じています。平岩理事長は、なぜ最初から新渡戸稲造先生のような大きな視点をもっていたのでしょうか。
平岩理事長
新渡戸先生と比べられると大変恐縮ですが、私のバックグラウンドにあると思います。私は2009年からNPO法人を運営しています。ビジョンにみんなが賛同して、目的の達成を目指して進むというNPO法人の理念経営が私はとても好きなのです。
その前は株式会社で15年ほど勤務していました。株式会社は、株主に対して企業価値を上げたり配当を出したりして貢献するという目的があります。しかし、会社で株主のために働こうと思っている従業員は、それほど多くないのではないでしょうか。そこに矛盾があり、目的が共有されていないことに難しさを感じてしまいます。
また、「売り上げを伸ばしたい」という社員もいれば、「給料をもらえればよい」と考えている社員もいます。目的がそろわない人たちを意思統一していくために、労力を割くマネージャーたちがいることにも難しさを感じます。
1つの目的に対して、一人ひとりが貢献する内容を考えるマインドの組織は強いと思い、理念経営に近い考えでNPO法人を運営してきました。学校も似たような部分があり、新渡戸文化学園のためになると考え、同様の手法を採ったのです。
前野教授
株式会社の本来の運営目的は、「人類繁栄のため、社員の幸せのため」ですが、生き残るために利益最優先、株主最優先になりがちという課題があります。営利企業の運営とは異なる部分で大変さはあるとは思いますが、理念レベルの話を実践するよい経験となったのですね。
平岩理事長
大変だったことは、理念は利益に比べてわかりにくい尺度であることです。選択に迷ったときに「どちらの選択が儲かるのか」と答えが出る利益尺度の世界は、非常にわかりやすい。一方で、理念はわかりにくく、「現状、理念にどのくらい向かっているのか」「ずれていないのか」と指摘されて悩むことも少なくありません。
しかし私は、理念の追求に人生を費やしたいと思っています。どこの世界でも通用する経営手法ではないかもしれませんが、学校経営にはそれが合っていると思っています。
前野教授
どの業種でも通用すると思います。幸せな企業を見ていると、利益よりも社員の幸せとお客さまの幸せを優先しています。よい企業は、理念経営で利益一辺倒になっていない。本当は、すべての企業が理念経営を実現できると私は考えています。
平岩理事長
私も、企業とは本来、ステークホルダーの幸せを追求するためにあると感じています。普段の生活では穏やかな善人が、会社では悪事を働いたり、ライバルを出し抜こうとしてしまったりすることもあります。幸せになるために、企業で働くことを選んだはずなのに、不幸になってしまうのは、本当に本末転倒だなと思います。「人の幸せや、社会のためになることを仕事にしたい」という想いが、私の原点にありますし、みんなそうなのだろうと思います。
副業制度の導入は職員の採用にも効果を発揮
前野教授
教育というのはよいですよね。私も教育をしていますが、自分一人では1しかできませんが、100人が育てば100の力で社会に貢献できる。成長して貢献するというループが非常に回りやすい仕事で、やりがいがありますよね。もちろん、教育以外の職種にも、人を育てる、自分が育つという概念はあるので、全員で進めていくべきだと思います。
平岩理事長
「子どもが育つことに貢献する」ということは、みんなの共通目標にできるので、教育業界や教育はすばらしいと感じています。
前野教授
ただ、学校が子どもたちの成長を目指すのはもちろんですが、先生たちが自分の成長をおろそかにしがちという課題もあります。先生の成長実感や成長する幸せに対して、どのような施策を講じているのでしょうか。
平岩理事長
1on1ミーティングだけでなく、働き方改革的な取り組みも進めています。具体的には、先生たちが副業できる制度を導入しました。「社会に開かれた教育をしたい」と言いつつ、先生たちが仕事に追われるだけの生活をしていたら、先生たちも社会とつながれません。
私が学校とNPOの2つで仕事をしていることもあり、副業のメリットを感じていたので、「先生たちもぜひ」と進めていきました。また副業制度の効果は、採用にもつながりました。「副業ができるなら新渡戸文化学園で働きたい」「大学院に通いながら教鞭を取りたいが、公立学校では難しく、働き方も現実的ではないので、新渡戸文化学園で実現したい」と、優秀な先生からの応募が増えました。
前野教授
私が実施した調査では、「収入アップのために副業をしている人は幸福度が低く、スキルアップや社会でさまざまな人と知り合うなど、自分の成長のために副業をしている人は幸福度が高い」という結果があります。人が成長して、本業にもよい効果が期待できるので、副業は多くの会社で解禁してほしいですね。その一方で、働き過ぎのリスクもありますが、どのような対策をされているのでしょうか。
平岩理事長
本人の意識づけと、学校長や事務局から声をかけるなどのチェックをしています。今のところデメリットとして起きていることは、フルタイムで週5日で支えてくれている人たちにしわ寄せがくることです。そこを回避するために、チームで働く文化を定着させる取り組みを進めています。
今までは、2人の先生がA組、B組とそれぞれのクラスを担任していたのですが、2つのクラスを混ぜることで「何かあったらB組も見ておきますよ」と連携できるようになりました。また新渡戸文化小学校では、2クラスに対して3人の先生が担当しています。2クラスを3人チームで担当すると、休暇取得の自由度が高まり、残業の削減もできます。いわゆる働き方改革として進めました。
前野教授
さまざまな角度から施策を実施されていますね。幸せな職場だから、さらに次の手を打つことで、好循環が生まれているのがよくわかります。幸せな組織は、どんどん改善してさらによくなっていくので、普通の組織はなかなか追いつけないんです。
そのスパイラルに入るまでが一番難しいと思います。よい循環が生まれている最大の理由はどこにあるのでしょうか。
平岩理事長
目指すものに共感した人間が集まっているからだと思います。マインドチェンジも必要ですが、先生たちが考えている共通の幸せは「子どもたちが育つこと」で一致しているので、融和しやすかったと思います。
経営者が実行するべき組織変革をうながす「4つの仕事」
経営者として平岩理事長は、どのようなお考えで融和策を実践しているのでしょうか。
平岩理事長
私は、経営者の仕事には4段階あると考えています。
(1)「どうなりたいか」を明確にする
まずは「登る山を決める」ことで、「どうなりたいか」を明確にすることです。企業だと「どこで戦うか」という話も含まれると思います。我々も生徒たちに選んでもらうために、「どの領域で頑張るか」を定義していきました。
(2)人やチーム、風土をつくる
2つ目は「組織をつくる」フェーズです。人やチーム、風土をつくっていく領域です。風土に賛同した先生たちが新たに新渡戸文化学園に参画していただいているのも、副業という人材獲得戦略の効果もあったと感じています。
(3)適切なタイミングで現場に権限を移譲する
その次が「権限移譲」です。組織ができあがってきたタイミングでしていく。理事長は教壇に立つわけではないので、学校長や先生たちに現場での教育を任せていく。一般的には上司にお伺いする文化がありますが、私は「先生たちが決めたことを応援していきたい」としています。
いきなりお任せするのではなく、大事にしてほしいことをすり合わせながら、権限移譲をしていく必要があるので、私は2年くらいかけて行っています。
(4)あと押しする
4つ目は「エンパワーメントする」領域です。権限移譲して任せたからには、あと押していくスタイルです。経営者の方によっては「自分が率先して背中を見せる」というタイプのリーダーの方もいます。学校は、先生と生徒がつくっていく現場が一番輝くと考えているので、先生たちを後ろからあと押しするというスタイルにしています。
私は、組織のリーダーはこの4つをやるべきだと考えています。今は3つ目と4つ目を中心に、2つ目の組織づくりに引き続き取り組んだり、組織風土をよりよくしていく取り組みを進めています。
「多様性の享受」が改革のカギ
前野教授
経営者としてあるべき姿を実践しているのが素晴らしいですね。公立学校は、私立学校よりも自由度が少なくて疲弊している先生が多い気がしますが、公立学校では、どのように進めるべきでしょうか。
平岩理事長
公立学校では、「教育委員会がこのようなことを言うとだめだろう」「保護者がこう言うとだめだろう」と、すべて「だろう」「らしい」で手を打たれないことがよくあります。また規模も大きいので、簡単に改革できないのはもちろんです。
文部科学省は学校の独立性の重要性を訴えていますが、最後は現場の学校が重要です。教育委員会自体も学校の先生たちが異動してきて、事務局を運営しています。そこには多様性が入らず、実行も監視も同じタイプの先生が物事を決めていくので、イノベーションが生まれにくい構造ができてしまっているのです。
前野教授
公立でもあらゆる企業でも、改革が進んでほしいですよね。
平岩理事長
新渡戸文化学園には「新渡戸文化学園の取り組みが広がって、日本中の学校がよくなってほしい」という夢をもっている人たちが集まっています。そのなかには、「公立学校をよくしたいと考えて仕事をしていたけれど、いち公立学校の先生としてキャリアを終えてしまうと、改革できないこともありそうだった。それであれば、新渡戸文化学園で思い切った改革を進めて、世に普及していくほうが、自分の人生の価値になるのではないか」と考えている公立学校出身の先生も多く活躍しています。
ノウハウを提供できる組織をつくりたい
前野教授
幸福経営をこれから公立の学校や他の組織に広げていくには、理事長はどのような活動が必要とお考えですか。
平岩理事長
私は現在48歳ですが、それが50代の夢ですね。30代でNPOを設立して、40代で新渡戸文化学園の改革を進め、50代になったら、日本の学校をよくするようなことに貢献したいと考えています。もちろん今までの仕事にも、全力で取り組み続けたいです。
学校もNPOも非営利の世界なので、新渡戸文化学園のノウハウを惜しみなく提供していくべきだと思うのです。これが、教育業界の好きなところです。学校やNPOの大きな目的は、社会の変革や、世の中がよくなることですから、ノウハウを惜しみなく提供できる組織をつくれたらよいと思っています。
前野教授
お会いするたびにおっしゃる内容が深まっていて、着実に前進していると感じています。今はもう実績もあって、そして次の50代のビジョンも明確で、楽しみですね。