正社員雇用の改革が人的資本経営の根幹|学習院大学・守島基博教授インタビュー #2
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2022年に内閣官房が「人的資本可視化指針案」を発表し、将来的な法整備も検討されているなど、日本でも「人的資本経営」への注目度が高まっています。しかしその一方で、「人的資本経営」をどのように進めるべきか、指針が定まっていない企業も多いのではないでしょうか。
学習院大学経済学部・守島 基博 教授に「人的資本経営の課題と進め方」についてお話しいただいたインタビュー連載企画の第二弾。今回は「経営陣に求められる意識改革」についてご紹介します。
学習院大学 経済学部 経営学科教授
人材論・人材マネジメント論専攻。1982年慶應義塾大学大学院社会研究科社会学専攻修士課程修了。86年米国イリノイ大学産業 労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・人的資源論でPh.D.を取得後、カナダ国サイモン・フレーザー大学経営学部助教授。1998年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授・教授、2001年一橋大学大学院商学研究科教授を経て、2017年4月より現職。2020年より一橋大学名誉教授。
主な著書は『人材マネジメント入門』『人材の複雑方程式』『21世紀の“戦略型”人事部』『全員戦力化 戦略人材不足と組織力開発』『人事と法の対話』など。
企業は「無意識に変えないことを選択している」?
企業の人事が変革していかない理由には、守るべきものが多いことにも要因があります。例えば、「来月からあなたの給料半分になります」と言われたら、みんな嫌じゃないですか。生活が安定しないことで不安になるため、これは守るべきものです。
でも、多くの人事担当者は、変えにくい側面しか見えなくなっていて、「労働組合にどう交渉するか」「働きやすいように、どのようにソフトランディングしていくか」を重視しています。労働組合交渉となると、保守的なほうに、安全なほうに着地する可能性が高いのです。本当は、労働組合も巻き込んでリスクを取って、新しい方向への変革を進めなければならないのですが、働く人も含めて、人事部をはじめとする企業全体が変革に対して躊躇していた部分があるのではないかと思います。言い換えると、「変えにくい側面」について、変えるのが大変なために、結果として「変えない」選択をしているのではないかと思います。
従業員の意識変革も「人的資本経営」の課題に
変革が進まない原因には、「従業員の意識」と「企業の計画性のなさ」も挙げられます。
自分のキャリアについて考える人たちは、確かに増えています。しかしその一方で、多くの人たちは「安定志向」になっている傾向もあります。人的資本経営は戦略と合わせて人事を実施すること。戦略が変わるなかで、働く人たちと働き方、学び方を変えていく必要があります。
例えば、ときには「ある部分を他の人たちと取り換える」ということも覚悟して変革していかなければ、本当の意味での戦略人事は実行できない状況もあります。しかし働く人たちに対しては、人生を考えてしまうので、個々の状況が大きく変わることをケアしてあげないといけません。
しかも、日本は労働者を守る強い土壌があり、そうした側面は、働く人たちがキャリアを考えるようになったからといって、必ずしも大きく変わっているわけでもありません。しかし今後は、工夫して働く人の生活を守り、同時に戦略に沿った人事を行っていかないと、本当に意味での戦略人事、人的資本経営というのは実行できないのではないでしょうか。
有事に何もできない「計画性のなさ」が従業員の成長を止める
「企業の計画性のなさ」については、ある人材のパフォーマンスが出ていない場合を例に挙げましょう。今の業務とスキルのミスフィットによってパフォーマンスが出ないことがありますね。この場合、新たなスキルを学んでもらう必要がありますが、新たなスキルを学びたくない人だったときに、多くの企業は「何もできない」というアクションになっています。
本来であれば、企業としてどういうアクションを取ればいいかを戦略的・計画的に考えていく必要があります。しかし、「この人は年齢を重ねているから変われないんだ」とか、「家庭の事情があるから変われないんだ」という、エクスキューズを企業が自らつくり出してしまっているのではないかと思います。
企業も「現状維持では従業員を守れない」という危機感が必要
対象となる従業員に「あなたは変化しないと、この企業では必要なくなる」と強く言えない。もちろん配慮は大切です。とくに、これまでは企業が一方的にキャリアをつくってきたのですから。しかし私が見ている限りだと、経営環境の変化と人材のミスフィットに対応していかなければ、企業が潰れていく時代に入ってきていると感じています。従業員を守るためには変化が必要です。しかし多くの企業では、「現状維持が労働者を守る」ことになってしまっているんです。
変革には多くの苦労が伴い、変わることで不安があるケースもあるかもしれません。しかし、人生100年時代で生きていくために、新しいスキルの習得が長期的な幸せにつながっていくかもしれないことを、企業として働く人に訴えていくべき時代になってきたのだと思います。
経産省の定義では「人材を資本として考えてその価値を最大限に引き出す」のが人的資本経営です。解雇規制など法律の問題もあるので急激には変えられませんが、「今の業務を同じレベルで続けさせてあげる」という従業員の守り方では、企業価値は上がりません。従業員に新しいスキルを学んでもらって、新しい事業や業務を担当してもらわないと、本当の意味での企業価値は上がっていかない。それにもかかわらず、経営者が誤解をしているケースもあります。人的資本を大切にするという意味が大きく変わってきているのです。
変革のタイミングを逃した「正社員雇用の守り方」の誤解
本来であれば、バブル経済崩壊後の2000年あたりから、2008年のリーマンショックまでの期間を、日本の企業が変わるきっかけにするべきでした。でも当時の日本企業は、結果として、賃金が安く、増減もやりやすい非正規労働者を増やしたんです。現在では約4割を占めている非正規労働者が、一種のバッファーになってしまった。非正規社員を増減することで企業は人件費を管理してきたのです。正社員は、大きく変革しなくても済んでしまいました。
その前のバブル期、さらにその前の高度成長期には、今の日本システムが十分機能していた時期なので変わらなくてよかったのです。あの手この手で、ずっと正社員の雇用だけを守ってきてしまったということですね。
経営者が変革の必要性を認識できるか
今後、企業価値を向上させるためには、経営者が、人事制度を変革する必要性を認識しなければなりません。現在の「人材マネジメントのあり方」は、経営環境とフィットしていないと理解し、現場のマネージャーと人事部門へ権限を委譲することが第一だと思います。権限を受けた側も、戦略的に何が必要かを考えて、時間をかけてでも変革を実行していく。非正規雇用労働者の増減でごまかしてはいけません。
さらに、最近よくないと感じるのは、非正規雇用労働者だけではなく、雇用外の「労働者」を増やしていることです。非正規社員と同様に、業務委託の比率を増やしていく風潮もありますが、そういうことでごまかさず、正社員雇用を改革していく必要があるのではないでしょうか。