ワイルドカードを手に入れろ。“哲学”で読み解く、これからの組織と働き方のヒント
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不確実性の増大、人手不足、働き方改革、グローバル化に事業承継問題。企業が直面する課題は深刻度を増し、複雑化しています。そうした課題に挑むとき、転ばぬ先の杖になりそうだと注目を集めるのが哲学です。組織運営や仕組みづくりに活かせるヒントを探して、哲学者で著書に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(共著・さくら舎)や『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー携書)などがある谷川嘉浩さんにお話をうかがいます。
京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師
京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程を修了。近著には『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー携書)や『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)がある。
企業が時代と共に変質するために
変化の激しい時代だからこそ、普遍的な真理を求めるようにして、哲学への関心が高まっています。ビジネス誌で哲学の特集が多く組まれるなど、ビジネスの現場でも注目が集まっていますが、哲学者である谷川さんは、この数年の流れをどう受け止めていらっしゃいますか。
谷川さん
哲学は「ワイルドカード」みたいなところがありますよね。なんとなく、「これまで通りではいけないんだろうな」と思っている人が手を伸ばす先のひとつになっている。
企業に勤める方や経営者の方から、「哲学を学びたい」という声をいただくこともよくありますし、私自身、企業からヒアリングの依頼を受けたり、講演や研修を行う機会も増えました。そうやって、企業の方からなにか言葉を求められたときは、“すこしズラして”答えることが多いです。哲学には、世界のいろいろな捉え方や実践のノウハウが蓄積されていますから、そうした知見を活用して、できるだけ相手の視界には入っていなさそうなことを言えたらと思っています。

谷川さんは以前のインタビューで、「哲学には問いをデザインする側面がある」とおっしゃっていました。企業にも時代の流れを踏まえて、組織のあり方や働き方を根本的に問い直し、変えていく姿勢が求められていると感じますが、どう思われますか。
谷川さん
そうですね。ここでいう「問い」とは、一問一答のように対応する「答え」を欲しがるものではなく、もっと広い意味での「問い」です。言わば「これが気になる」というような“関心の方向性”とか “好奇心の方向性”を示すもの。
この「問い=方向性」という考え方に依拠すると、企業の文脈で似ているものは、たぶんパーパスなんだと思います。
たしかに、「パーパス経営」という言葉が浸透するなど、企業にとって身近な言葉です。経営層はパーパスを指針に企業の進む方向を示すことが重要だとされていますよね。
谷川さん
でも、パーパスって難しいんですよね。これはどんな立場をとるかによって見解も分かれるとは思うんですが、私は「説明的なパーパス」は基本的に良くないと思っているんです。パーパスは従業員や顧客、地域社会とのコミュニケーションの一種なのに、パーパスが複数に分割されていたり、長くて説明的になっていたりすると浸透しにくいし、それじゃあ魅力的な問いが創発されることもないんじゃないか、と。

では、どんなパーパスが理想的なのでしょうか。
谷川さん
私は、パーパスとは「啖呵(たんか)を切るもの」だと思っています。「勢いよく飛び出す歯切れのいい言葉」という意味の啖呵ですね。漠然とした表現になりますが、「なんかよくわかんないけど、なんかすごい」と、惹きつけられるフレーズであることが大切だと思うんです。
たとえば、Appleの「Think Different.」や、株式会社スマイルズの「世の中の体温をあげる」などは、それだけでは意味を完全に理解できないかもしれません。でも、「なんか格好いい」と惹きつけられたり、「なんとなくそれって良さそう」と謎に感化される気がしませんか。
そんなパーパスは、会社にとって良い“方向性”を示すものになり、うまく機能するようになるんじゃないかと思います。だから、パーパスは短い啖呵的な言葉遣いがいい。
もちろん、もうすこし説明したいことがあるなら、パーパスとは別にステートメントを置くのも良いと思います。
そうした羅針盤的なパーパスを通して、社員一人ひとりが問いを立て、仕事のあり方や働き方を考え直すような企業文化ができていくといいのかもしれませんね。
とはいえ、たしかなパーパスがない場合や、あっても企業文化の醸成につながっていない場合はどうしたらいいのでしょうか?
谷川さん
そうですね。今「企業文化」という言葉が出ましたが、私は文化とは「習慣の束」だと思っているんです。
どんな仕事でも、なんらかの法則に従って一定のリズムを刻んでいれば、人は「次はこうなるよね」と予測できるようになりますよね。たとえば、「年度末にはこんなことが起こりがちだよね」とか、「こういうときにはこんな人と一緒に組むといよね」とか。そういった考え方や行動の習慣を束ねてできあがっているのが「文化」である、というイメージです。
社会の文化をつくるとか、それこそ大企業の組織文化を醸成するというとき、いきなり全体の文化を丸ごと変えたり、新しい文化を全体に浸透させようとするのは無理がある。社会でも組織でも無数の習慣が一緒くたになった「文化」をもっているわけですから、いきなり全体にアプローチしても、総体はなかなか動かない。むしろ「変えられない」無力感に襲われかねません。
でも、バンドルされている(束ねられている)習慣の一つひとつは、実はすごく小さなことなんです。その1個なら、変えることだってそんなに難しくない。
だから、会社「全体」とか、習慣の束「全体」を漠然と眺めるよりも、まず1個の習慣を見るとか、経営者自身の習慣を変えるみたいに、まずは小さなチーム単位で習慣を検討するクセをつけるといいと思います。そういう分割的なアプローチのほうが、「文化を変える・つくる」ことによる変化や効果も観測しやすくなると思います。
もちろん、ひとつ変わったからといって、劇的になにかが変わるわけじゃないですけど(笑)。

では、チーム単位での習慣を変えるには、具体的にどうすればいいのでしょう。なにかアドバイスはありますか。
谷川さん
既存の習慣を、ちょっとずつズラしていく視点をもつと、変化はずっと簡単になるんじゃないでしょうか。
個人のレベルで想像するとわかりやすいと思うんですが、たとえばまったく運動しない人が、いきなり毎日2時間の運動を習慣化するのは、かなりハードルが高いですよね。でも、「ハミガキをしているときにちょっとした動きでストレッチをする」だったら簡単です。そうやって、すでにある日常の習慣のなかに、新しい活動を取り込む。つまり習慣をズラすことで、すこしずつ「運動する」という新しい習慣をつくっていくことが可能になる。

谷川さん
この発想は、組織でも十分に有効だと思います。日々の業務や習慣のなかに、ちょっと新しい取り組みを足したり引いたり混ぜたりして、習慣の内容を変えていく。それが徐々に「文化」を良い方向へ向かわせるかもしれない。
たしかに、個人のレベルでも組織のレベルでも、些細な変化が出発点になって、大きな流れが生まれることはよくあるように思います。
谷川さん
そうですよね。ひとつの企業で起きた変化が、同じ業界内で連鎖し、業界全土の風土ができてくるとまた組織の変化へ波及したり。そうして社会全体の空気が変わっていくこともあるんじゃないでしょうか。
「なにもしない」不安とその価値
もうひとつ、今の企業が直面する大きな課題として、深刻な人員不足が挙げられます。つまり、働く人にとっては「会社を辞めても次がある状態」ですから、離職率も上昇傾向にある。採用や人材の定着に苦心している企業も多いなか、どのようなアプローチをとれば、求心力のある会社になれるのでしょうか?
谷川さん
すこしズラした答えになりますが、人は不安を感じたときにアクションを起こしたくなるし、新しい仕組みをつくろうとしがちですよね。
会社よりも、親子関係でたとえるとわかりやすいと思います。たとえば、子どもの行動に不安を感じたり、ニュースを見て「うちの子は大丈夫かな」と不安になったときに、親は新しいルールをつくって子どもの行動を縛るようになる。あるいは、新しい習い事に通わせるとか、子どもにタスクを課すことで不安を解決しようとする。
これは、会社組織のレベルでもよくあることだと思います。離職率が上がったとなると、すぐになんらかの手を打って不安を解消したがりますよね。

でも、それってあんまり良くないんじゃないかという気がしていて。状況がよくわからないまま、「なんとなくこれをやったほうがいいんじゃないか」「これが流行っている」「たぶん正しい」とその流れに棹さしてルールをつくったり、制度を導入したりすると、かえって事態をややこしくしてしまうかもしれません。もちろん、類似の事例を調べたり、問題の「観察」は比較的しっかり行うと思うんですよ。けれど、それがエフェクティブ(効果的)かどうかはあまり考えられていない。つまり、このアクションを起こした後にどんな結果が起こるか、といった帰結の予想をしていないことが多いんです。どんな手間や結果が生じて、それによってなにが得られてなにが損なわれるのかを考えないといけない。
さっきの親子のたとえでいえば、子どもの成績が下がっている問題を観察して、「この塾に行くのが良さそう!」と新たな行動を課すのは、問題と解決策しか見ていませんよね。そこにエフェクティブかどうかという視点を入れて、「この性格の子どもが、この塾に通いはじめたらどんなインパクトが起こるか」までちゃんと想像しておかないといけないと思うんです。

谷川さん
そうじゃないと、せっかく投資したのに効果が出ないまま放置されることになったり、逆に子どもが勉強嫌いになるといった混乱が起きかねないですから。
なるほど。企業でも、他社が取り組んでいる施策を見て「なんか良さそうだな、やってみよう」と飛びつく前に、きちんと効果的かどうかまで検証することが大切ですね。
谷川さん
おっしゃる通りです。しかも、一度ルールを設けたり、アクションを始めてしまったら、簡単に引き返すことはできません。なぜなら、ルールをつくっては取り下げる、ということをくり返していると、人はルールを真面目に取り合わなくなるからです。ルールや仕組みってつくるだけではダメで、それに従ってもらわないといけない。つまり、「ルールを守る」という“前提のルール”が維持されなければならないんです。この常識を損なわないためには、ルールや仕組みをつくる側がそれを平気で変えまくるのでは困るわけです。だから、一度つくった仕組みは、ダメならもちろん変えていいんですが、基本的にはちゃんと維持しないといけない。
なにかをルール化したり、新しい仕組みをつくって行動を義務化しようとする前に、もうちょっと冷静になったほうがいいんじゃないかとは思います。「朝令暮改」(朝に出したルールを夕方に変える)という故事成語がありますが、これは「ルールを守るというルール」を損なわないための知恵だと言えるかもしれません。
近年だと、AIを導入して新しい取り組みを始めようとか、古い仕組みを刷新しようといった議論が盛んですが、それも一歩立ち止まって考えるべきだ、と。
谷川さん
そう思います。ルールに関連してもうひとつ話すと、法哲学者の那須耕介さんの「大学の「へり」で」(『つたなさの方へ』収録、ミシマ社、2022年)というおもしろいエッセーがあるんです。そこで那須さんは、「大学が公式に用意したルールや仕組みだけが大事なのではなく、その周辺にある学生街や読書会、サークルといったもの込みで“大学の文化”が成立しているんだ」、というような話をされています。ここにあるのは、ルールや仕組みから“こぼれ落ちた周辺部分”こそが実は大事なんじゃないか、という視点です。

会社で考えてもそうです。たとえば、あるチームでたまたま毎週30分くらい、上司と部下が一対一で話す時間が常態化していて、それが良い効果を生んでいるとしますよね。それを聞きつけて、「じゃあ全社的に週に1回、1on1ミーティングをルール化しましょう」とすると、どうなるか。たぶん義務的なものになってしまって、やっていることは同じに見えても、話す内容も効果も変わってしまうでしょう。
組織文化は、仕組みには乗りきらない非公式なやりとりや関係性込みで成立しているわけですが、このことは見落とされやすいんです。特に「文化」は、制度化することによって形が変容しかねないものです。もしも今、その“へり”でおもしろいことが創発していたり、良い感じの文化ができているのなら、今の状態が正解である可能性もありますよね。だったら、その“へり”を制度化するよりも、そっとサポートする弱い仕組みをつくるくらいでちょうどいい、という場合もあると思うんです。
あらゆるものを会社として、組織として、きれいに整備すべきかどうかは、ちゃんと見極めたほうがいいだろうといつも思っていますね。

社会情勢や今の会社の状況を見て、「なんとかしなければ」と不安にかられたときこそ、「本当に新しいアクションが必要なのか」と問い直す必要があるのかもしれませんね。
谷川さん
そうですね。実は、問題のひとつは、「上に立つ人の不安耐性」にあるんじゃないかと思っています。
人は「問題」が自分の外側にあると思いがちなんですよね。「これは部下の問題だ」「これは会社の問題だ」「これは仕組みの問題だ」と言うとき、たいていは後ろに(私は大丈夫だけど)というカッコ書きがくっついている。
でも、上に立つ人ほど、まずは「不安になっている自分の問題かもしれない」と振り返る習慣をもったほうがいいと思うんです。なかなか、年齢を重ねてから不安耐性をつけるのは難しい面もありますけど。
不安な人は、パッと目に付く解決策に飛びつきますが、それは「なにかやっている感」を得て安心したいからなんですよね。そして、子育ての例で話したように、その解決策が別の問題を生み出すことも多い。
やらなくていいことや、新しい制度を追加するよりも、今やっていることをやめるだけでいい、なんてこともあるはず。なのに、焦りや不安が決断を加速させてしまうんですよね。そう考えると、なにかを決める立場の人こそ、安易な理解に飛びつかず、消化しきれないモヤモヤを抱えておく力——いわゆる「ネガティヴ・ケイパビリティ」が大事になってくるのかもしれません。

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取材・執筆:水沢環
撮影:小池大介
編集:野路学(株式会社ツドイ)