人事労務と経営の2視点から働きかけるメンタルヘルスケア
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従業員のメンタルヘルス悪化防止や復職支援といった取り組みは、持続的な組織運営に必要不可欠です。一方で、他社の取り組みや行政が推奨する施策などを知らずに自社の対策を進めると、失敗や回り道をしてしまうリスクがあります。
社員のメンタルヘルス悪化防止対策について知りたい方や、バックオフィスと経営それぞれの視点から組織全体の生産性を高めたい方はぜひご一読ください。
※本稿は、2023年10月23日に開催されたSmart相談室主催セミナー「人事労務コンサルタントが解説!予防から支援施策まで、労務によるメンタルヘルス課題の対策とは」にて、人事労務コンサルタントの西山賢治氏にお話しいただいた内容をもとにした記事です。
社会保険労務士法人葉山事務所 人事労務コンサルタント
2008年社会保険労務士法人葉山事務所(旧葉山社会保険労務士事務所)に入所。
その後、15年にわたり、人事労務コンサルタントとして顧問先企業の人事労務課題解決業務に携わる。その他、給与計算業務などの実務にも数多く携わっている経験から、経営者や人事労務担当者といった、さまざまな立場の視点から課題解決に取り組んでいる。
メンタルヘルスケアの必要性
皆さんの職場では、メンタルヘルスケア(メンタルヘルス対策)を実施されているでしょうか。日頃の業務が忙しく、なかなか進められていない方も多いと思います。私が受ける労務相談のなかには、人事の対応が後手にまわり、気づいた頃には離職や休職となってしまうケースが多い印象です。
「労働経済動向調査」(厚生労働省 令和5年8月)によると、労働者の過不足状況において人手不足感を示す「労働者過不足判断D.I.」が平成23年8月の調査から49期連続して“不足超過”という結果になっています。人手不足が続いていることが示された一方で、労働安全衛生調査からは、メンタルヘルス不調によって連続1か月以上休業した方がいる事業所の割合も、年々増加していることがわかっています。
これらの結果から、人手不足感の解消に向けたひとつの施策として、メンタルヘルス不調者が生じない仕組みの構築が必要と考えられます。
本日は、厚生労働省の指針に基づいた施策の内容を踏まえつつ、人事・労務、経営それぞれの視点からできること・確認すべきことをご紹介します。
組織の生産性低下を招くメンタル不調
令和4年の「労働安全衛生調査」によると、現在の仕事や職業生活に関することで、強い不安、悩み、ストレスとなる事柄がある労働者の割合は82.2%です。令和3年調査の53.3%と比べて増加しています。
ストレス要因の上位3つを見ていきましょう。1位は「仕事の量」36.3%となっており、ひとりで抱える仕事が多くなるとストレスがかかると考えられます。2位は35.9%を占めた「仕事の失敗、責任の発生」で、一時的に過度なストレスや不安を抱えてしまうことが挙げられています。3位は「仕事の質」27.1%です。
このように強いストレスや不安を抱えながら仕事をしていると、精神障害などの発生するリスクが高まってしまいます。
こちらは、業務による心理的負荷を原因とする精神障害などによる労災認定件数に関するグラフです。青のグラフが労災認定の請求件数、オレンジのグラフが認定を受け支給が決定した数を表していますが、いずれも増加傾向にあることが見て取れます。
注目すべきは青いグラフが示す請求件数が、令和2年度から急激に増えていることです。一方で、支給件数はそこまで大きく変動していません。つまり、労災とは認められなかったものの、業務や本人の要因によって精神障害を患ってしまった方が増えているということがわかります。
メンタルヘルスの不調が生じてしまうと、業務遂行能力が十分に発揮できず、生産性の低下を招く恐れがあります。さらに、不調が原因で欠勤が多く出る、療養に専念するための休職や退職にいたってしまうケースもあるでしょう。
このように、職場におけるメンタルヘルスケアは、企業の重要な課題になります。
メンタルヘルス課題への対策として最も重要なことは、単に個人の問題と捉えずに、職場全体としてメンタルヘルスケアに取り組むことです。
メンタルヘルスケアが自社の経営にもたらすメリット
メンタルヘルスケアを講じるメリットを挙げます。
(1)職場の生産性低下の防止
メンタルヘルスケアを実施し、従業員が自身のストレスに気づくノウハウを身につければ、不調の早期発見・早期対処につながります。従業員のパフォーマンスが下がる前に対策を講じれば、業務遂行能力を十分に発揮できる環境の生成が期待できます。
(2)従業員個人の生産性や活力の向上
メンタルヘルス不調に陥った人だけではなく、従業員全員、組織全体を対象にした職場環境改善と組織開発は、労働生活の質の向上につながります。また、ワークモチベーションを維持し、生産性や活力の向上につながります。
(3)リスクマネジメント
メンタルヘルス不調は、事故やトラブルを引き起こす原因になり得ます。企業の不適切な対応が続くと、労災請求や民事訴訟につながる場合も考えられるでしょう。
(4)企業の競争力強化・人材の充実
メンタルヘルスケアへの注力は、企業全体のイメージアップや企業価値向上にも寄与します。最近では、口コミなどをもとに会社を選ぶ求職者が増えており、離職率が高い企業は採用が難しくなることが予想されます。メンタルヘルスケアを講じることは、労働者に選ばれる「ウェルビーイング経営企業」の基盤になります。
ストレスは、生活するうえでどうしてもかかってしまうものです。メンタルヘルスケアを実践し、従業員一人ひとりにストレスと上手に付き合うための知識を身につけてもらえれば、従業員全員が最適なパフォーマンスを発揮できる理想的な職場をつくれます。
メンタルヘルス課題に対応するポイント
では、ここからはメンタルヘルス課題に実際に対応するためのポイントや注意点をご紹介します。
(1)自社に必要な取り組みを見極める
メンタルヘルスケアには、さまざまな方法があります。まずは、厚生労働省の「労働者の心の健康保持増進のための指針」で示される「メンタルヘルスケアへの取り組み内容の分類」を紹介します。
メンタルヘルス課題に対する取り組みは、「取り組みの目的が何か(以後、目的)」と「取り組みを実施する主体が誰か(以後、実施主体)」によって次のように分類されます。
「目的」による分類
一次予防 | メンタルヘルス不調を未然に防止する取り組み。 |
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二次予防 | メンタルヘルス不調を早期に発見し、適切な措置を施す取り組み。 |
三次予防 | メンタルヘルス不調となった労働者の職場復帰の支援などの取り組み。 |
未然に防止するための取り組みを実施しながら、不調が発生した場合は、適切に対応する。それでもなおメンタルヘルス不調になってしまった場合は、休職制度の活用やリハビリ出勤など職場復帰支援の取り組みが、対策として挙げられています。
「実施主体」による分類
セルフケア | 働く従業員自身によるケアの取り組み。 |
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ラインによるケア | 各部門・チームの管理監督者や所属長によるケアの取り組み。 |
事業場内産業保健スタッフなどによるケア | 産業医や衛生管理者、保健師などの事業場内産業保健スタッフなどによるケアの取り組み。安全衛生法上、50人以上の従業員がいる場合は産業医の選任が求められている。 |
事業場外資源によるケア | 会社には所属していない事業場外の機関・専門家などの、事業場外資源によるケアの取り組み。外部相談窓口の設置や、定期的な外部のカウンセラーの従業員面談などがあてはまる。 |
具体的な取り組みをする際は、各事業所の実態に応じた対応が必要です。継続的かつ計画的な施策の実施が重要になります。
(2)メンタルヘルスに関わる健康情報は「個人情報保護」の配慮が必要
メンタルヘルスケアの全体像を表した図を見ていきましょう。ケアの内容や職場環境の把握と改善などの取り組み内容が記載されています。ここで注目していただきたいのは、個人情報保護への配慮がすべての対策の根底にあることです。
メンタルヘルスに関わる健康の情報は、個人情報に該当します。不調の原因が社内にあるのか、個人の私生活にあるのかなども含めると、個人情報の保護への配慮がさらに重要になります。配慮を踏まえた対策ができていると、従業員も安心して相談できるようになります。
(3)こまめな課題把握と柔軟な対応が必要
メンタルヘルスケアを効果的に進めるためには、職場環境における課題の適切な把握が必要です。しかし、課題の要因が1つであるとは限りません。職場における人間関係やハラスメント、過度な長時間労働など、さまざまな要因が重なって起きている場合があります。
そのため、一時の決めつけで進めることは望ましくありません。設定した課題への対策を講じていくなかで、さらに新たな課題が発見されたときには見直しをするなど、柔軟な対応が大切です。
メンタルヘルスケアの効果をより高めるヒント
メンタルヘルス課題への対策の効果をより高めるためのヒントをご紹介します。
(1)メンタルヘルスケアに関する方針の表明
会社の経営理念や経営課題であると従業員全員に伝えて、会社全体で取り組む風土をつくります。
(2)メンタルヘルスケアに関する計画の策定・見直し
計画をしっかりと策定し、柔軟に見直しなどを実施しつつ進めていきます。計画は、ストレスチェックを実施した後の集団分析や残業集計の長時間労働など、さまざまな指標をもとに策定します。
(3)事業場外資源の活用
メンタルヘルス不調が出やすい時期・新入従業員を対象にした「外部講師を招いた研修会」や、人事異動者に向けた「カウンセラーによる面談」などの施策が考えられます。また、外部の相談窓口を設置して従業員の声を聴く取り組みも有効です。
(4)関係者への理解・協力の呼びかけ
運送業者や病院、建設現場など、働く場所にさまざまな企業の方が携わっている場合は「自社はこの方針でメンタルヘルスケアを推進しています。皆さんもご協力お願いします」といった呼びかけをすると、効果が上がります。
運送業者であれば荷主に対しての呼びかけ、病院であれば患者に対する病院内での掲示が考えられます。関係者からの暴言・暴力などに対するケアとして、効果が期待できるでしょう。
それぞれの取り組み例は「事業場におけるメンタルヘルスケアの取組事例集 - 厚生労働省」に記載されているので、あわせてご覧ください。
人事・労務から始めるメンタルヘルスケア|まず実施できる2つの取り組み
人事・労務の業務内容は多岐にわたり多忙なため、メンタルヘルス対策まで手が及ばないかもしれません。しかし、「労働者の健康確保対策」や「福利厚生」業務の一環として、人事・労務の視点からもメンタルヘルスケアは実施できます。
人事・労務から始めるメンタルヘルスケアの第一歩目として、実施できる2つの取り組みをご紹介します。
(1)自社の抱えるメンタルヘルス課題を把握する
必要なメンタルヘルスケアを特定するには、まず「従業員の声」を聴くことから始めてみましょう。
社内における超時間労働・残業時間が多い部署やストレスチェック集団分析の結果、ハラスメント相談窓口に挙げられた声など、人事・労務業務で得られたデータ・数値が参考になります。また、数年間の人事評価上で、急に成績が悪くなっている、均一な評価になっている部署などの異常値も指標になります。
また、相談窓口の設置やアンケートを実施して、従業員から吸い上げた相談対応・意見・要望から課題を把握しましょう。
これらの情報をもとに課題を洗い出したうえで、会社全体として取り組むべき課題を判断しましょう。
(2)ストレスやメンタルヘルスケアに関する研修の実施
福利厚生の一環として、ラインケアを実施する管理職へのサポートや、集団分析を活用した職場環境改善活動、従業員一人ひとりがストレスと向き合うためのセルフケア研修を実施しましょう。
このように、まずは小さな施策から始めることで、課題が明確になります。
経営に不可欠なメンタルヘルスケア|経営視点で確認すべき3つの課題
企業が事業を進めていくには、従業員の存在が欠かせません。近年は人的資本経営やウェルビーイング、健康経営などの考え方が広まってきました。
メンタルヘルスケアと経営について考える際に確認したいポイントを3つご紹介します。
(1)本当に人手不足なのか?
社内に人手は十分にあるにもかかわらず、メンタルヘルス不調や組織をうまくマネジメントできていないために、従業員一人ひとりが十分なパフォーマンスを発揮できておらず、人材不足を感じている可能性があります。人手不足ではなく、「活躍できる状態にある人材の不足」であるかもしれません。
採用費用とメンタルヘルスケア費用を比較した場合、長期的な視点では、今いる人材を活用するほうが組織運営に効果的である場合もあります。
(2)価値観の変化をキャッチできているか?
人々の価値観は、数年で大きく変化し、多様化しています。働くうえで価値観を重視する傾向が顕著になっているため、価値観の変化をキャッチすることは、さまざまな人事施策を講じる際に必要です。
(3)人事・労務との連携はうまくとれているか?
事業推進のためには、企業経営の戦略とその変化を見つめつつ、その時々に必要な人材確保・活用が欠かせません。人事・労務部門と連携したメンタルヘルスケアにより、従業員一人ひとりが十分なパフォーマンスを発揮できる環境を整えていくことが必要です。
労働者の心の健康は、職場配置や人事異動、職場の組織などの人事・労務管理と密接に関係する要因に大きな影響を受けます。そのため、メンタルヘルスケアを実施するには、人事・労務管理と連携しなければ適切に進まないことが多くあります。個人情報の保護への配慮をしながら、従業員が安心して対策に参加できるようにしましょう。
メンタルヘルスケアの取り組み事例
最後に、具体的な事例をご紹介します。厚生労働省の「こころの耳 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト」から引用しています。
事例(1)東京都の情報通信業、従業員数100名弱
入社前後の研修期間中に相談できる機会を多く提供し、入社後の現場研修期間中に仕事の疑問を何でも相談できる専任リーダーをつけることで、入社直後の方々の不安を解消する取り組みを実施しています。
また、相談のハードルを下げることを目的として、経営者や社外カウンセラーが定期的に従業員全員と個別面談する仕組みをつくりました。話しやすい環境づくりの整備によって、悩みや不安が大きくなる前の相談件数の増加にもつながっています。
事例(2)東京都の建設業、従業員数1,800名の企業
自社の従業員だけではなく、協力会社の従業員に対してもメンタルヘルスの相談窓口を紹介して、現場全体の意見・情報から職場環境改善につなげています。相談窓口を設けて、相談しやすい環境の醸成から始めることも、メンタルヘルスケアのよい方法です。
今回は、経営におけるメンタルヘルスケアの重要性から、人事・労務の分野から始められる対策や事例までご紹介しました。ぜひ、参考にしてみてください。
質疑応答
Q1. メンタルヘルスケアに取り組む人員・リソースが足りない場合の対策はありますか。
対策は2つあります。
1つ目は、外部委託です。メンタルヘルスケア自体を外部委託して、相談窓口で情報収集するところから外部委託する場合と、人事・労務が抱えている手続き関係や給与計算などを外部委託して、人事・労務の担当者は社内の組織運営業務に注力するためのリソースを空ける方法があります。
2つ目は、現場の方を巻き込むことです。管理職の方々にも協力を仰いで、一緒に対策を講じる方法も有効です。Q2. 産業医面談やカウンセラーの相談窓口に、従業員が相談しづらいと感じている場合の効果的なアプローチはありますか。
相談内容が全体に漏れてしまうのではないか、という不安で従業員が相談できない場合が多いと考えています。解決するには、面談時に限らず普段から「声を上げても問題ない」と従業員が感じる環境をつくることが重要です。
Q3. 従業員の入退社が激しく、メンターになれるような人材がいません。どのような対策がありますか。
勤続年数が長い従業員に頼り過ぎてしまうと、その従業員に業務負荷がかかります。メンターの役割を外部に委ねるか、相談の受付を窓口に集約して随時対応していく方法があります。
または、一定期間の研修を通じて、研修自体がメンターの場になるような環境整備を数年間続ける方法もあります。新しく入った方が安心・安全に働ける環境の醸成を目的として、対策を講じることが重要です。Q4. メンタル不調による休職者がなかなか復帰できないケースがあります。企業はどう対応すべきでしょうか。
就業規則において、休職制度の定めがある場合には、その定めに沿って対応していくことが前提となります。一定期間を迎えても復職できない場合には、定めに沿った対応を行うことになってこようかと思います。ただ、復職に向けて、従業員の状況を考慮しつつ、並走していくことも一案です。そのために、可能であれば本人の同意を得て、会社側から主治医・産業医に意見を聴きましょう。それらの情報をもとに、復職の最終的な判断は会社がすることとなります。
【執筆:まえかわ ゆうか】