下町の中小企業が進めた女性活躍の3段階。“ピンクカラージョブ”からの脱却を果たした社員主導の制度整備
- 公開日
目次
株式会社吉村 代表取締役社長
1982年、祖父が1932年に創業した家業の吉村に入社。1995年に出産を機に退社し、2005年に復帰。同年11月に3代目となる代表取締役社長に就任。社内改革を推進し、ダイバーシティ経営企業100選などに選ばれている。
改革前夜。ポテンシャルのある社員はすでに社内にいる
約20年前から、当社の働き方改革は始まりました。ES(Employee Satisfaction/従業員の満足度)調査を実施したところ、非常に厳しい結果が出ていたんです。
当時、私が参加している中小企業家同友会で、グループディスカッションを実施しました。「1個のオレンジを、AさんとBさんの両方がWin-Winになるように分けるには、どうしたらいいか」という内容です。私のグループのなかでは「男が先だ、男を立てるだろう」と言う人がいたり、「じゃんけんだろう」とか言う人がいたりしました。私は「それではWin-Loseになるから、ジュースを絞るべきだ」と言いました。発表の時間になり、他のグループでは「オレンジが1個しかないなら、それでオレンジのケーキを焼いて、町で売って、オレンジを2個にして分け合う」「オレンジの種を植えて、オレンジの木をならせて、それを山分けする」といった意見を出したグループがありました。
1個のオレンジを平等に分けることしか考えていなかった私は、衝撃を受けました。私は社員さんと「これだけしか原資がないんだから、これだけしか渡せないよ」「いやいや、もっとくれよ」といった闘いがしたいわけではなくて、オレンジを増やしたいと思ったんです。
社内でも同じ内容のグループディスカッションを実施しました。すると、私がまったくノーマークだった社員さんで、「オレンジのプリンを焼いて街に売りにいく」と言った人や「種を植える」と言った人がいたんです。
先代の父は「優秀な社員さんが欲しい」といつも言っていましたが、こちらが気付いていないだけで、本当はポテンシャルがあって、さまざまなアイデアをもっているのに、眠っているだけなのではないかと思ったんです。これが働き方改革の出発点でした。
社員自身が自分たちのニーズにもとづいた「3段階での制度整備」
女性活躍を実現するには、3段階を経てきました。
(1)「女性のリアルな気持ち」から社員が制度を整備
1段階目は、最初はみんな辞めてしまっていたところを、辞めないように支えることでした。
オレンジのグループディスカッション後のアンケートで、「ワーク・ライフ・バランスを改善するプロジェクトに手を挙げてくれる人はいませんか?」と募ったところ、5人の社員さんが手を挙げてくれたんです。彼女たちが「オレンジプロジェクト」と名付けて、そのセンスもすごいなと思いました。私には「ワーク・ライフ・バランスプロジェクト」といった名前しか思いつきませんでしたから。オレンジプロジェクトのメンバーたちが、つわり休暇やMO制度を整備していきました。
後ろめたい気持ちをなくせた「つわり休暇」
つわり休暇は、社員さんたちのリアルな気持ちから生まれた制度です。妊娠時に辞めたくなる理由のひとつとして、「後ろめたさ」がありました。
たとえば、朝に気分が悪くなって、「明日は大丈夫だと思います」と言っても、翌日も気分が悪くなり休まざるを得ない……。次第に肩身が狭くなってしまう、という状況がありました。医師の診断書がなくても、「つわりでしばらく休みがちになります」と自分から宣言できたらよいのではないか、とできた制度です。自分の有給休暇を使うので、会社にとってデメリットは何もないのですが、社員さんからしたら、後ろめたい気持ちをもたずに休暇を取れるメリットがあります。
アルムナイ採用でミスマッチを防ぐ「戻っておいで制度」
MO制度とは、「戻っておいで」の「MO」です。当時はまだパソコンやリモートワークが一般的でなかったので、女性社員さんの配偶者が転勤すると、ついていくために仕事を辞めざるを得ない時代でした。
MO制度は、そうした女性社員が配偶者の転勤が終わって戻ってきたときに、もとの職位でもとの仕事に戻れるという制度です。もちろん、それが10年後かもしれず、会社のなかにその課がなくなっている場合もあるので、その場合は「対話して決めましょう」と。MO制度をつくったら、それを聞きつけて、前に出産退職していた社員さんたちが再入社したこともありました。
社員さんが自分たちのニーズにもとづいて制度を整備したことで、長く働ける環境が整い、退職する女性社員さんが減っていったんです。
(2)経営者自らがアンコンシャス・バイアスを取り除き
希望をヒアリングして一人ひとりに合わせた働き方を実現
第2段階は、衝突が起きてしまっていた時期です。「働きやすい会社だ」と知ってもらい、それを見て応募してきた社員さんが入社しても、実態はまだ途上で、最適な運用に取り組んでいる段階なわけです。すると、「表彰されている企業なのに、こんなこともできない」と感じる社員さんもいたようです。
その他にも衝突してしまうことがあって、社内アンケートでは「時短で帰った社員さんのフォローが増えて困る」といった意見も出ていました。
当時、ある女性社員さんから「私は育休明けの直後からフルタイムで働きたい」と申し出がありました。みんなは時短から始めていたので、私は驚いて「制度があるんだから使ってみては?」と提案しました。私自身、専業主婦を10年やっていた時期もあり、「お母さんは近くにいたほうがいいよ」と言ってしまって……。彼女は、「でも、それは橋本さんの価値観にすぎない」と言ったのです。「小学校3年生までいつもお母さんがいてフォローしていたら、お父さんは当事者ではなく、子育てのお手伝いですよね」「女性の社会進出と男性の家庭進出はセットですよ」と。
私は「こんなによい制度がありますよ」と自慢していましたが、それが逆に女性の活躍を妨げている側面もあることに気付かされました。そして彼女が戻ってきたあと、時短で働いていた女性社員さんの7割がフルタイム勤務に戻ったんです。
要するに、余計なお世話になっていることもあるのです。「小さいお子さんがいる社員さんは、時短で働きたいだろう」というアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)があったと思います。何より大切なのは、私のなかで無意識に思い込んでしまうことがあるのを前提として、社員さんから「それはアンコンシャス・バイアスですからおかしいです」と言える関係性をつくっておくことだと思います。
このようにして、制度をつくるだけでなく、アンコンシャス・バイアスを自覚し、本人の希望を聞くようにしました。、その結果、そのほかの衝突も減らせるようになったのが第2段階でした。
(3)「管理職になりたい」と思える環境整備で
女性管理職比率は4割にまで上昇
3段階目は、女性が役職者にならない問題に取り組んだことです。働き続けてくれて、活躍をしてくれると、主任ぐらいまでは昇進します。でも、課長以上になるところで女性が激減してしまっていて、大きな課題感を抱いていました。社員数の男女比率のバランスはよくても、経営会議は課長以上なので、意思決定は男性だけでしている状態になってしまっていました。
そのように課題を感じているときに、同友会で「女性の役職者が増えないのは、女性はもともと“ピンクカラージョブ”だからだ」と言う方がいました。秘書や家政婦のように「主人」をサポートすることを頑張らされてきたから、自分が目標や数値目標をもつ経験がなくて、成功モデルがないのです。
だから、ピンクカラージョブから抜け出していくために、新しい部署をつくって、女性がトップになるしかない状況を設定しました。6つの営業所があって、デザイナーさんが2人ずついたら12人、営業事務さんにいたっては全部で30~40人いる。彼女たちをひとつの組織にして、販売サポート部、クリエイティブデザイン部と自分たちで名付けた組織をつくって、責任者を立てたんです。
クリエイティブデザイン部では、デザイナー12人の得意・不得意を表にしてオープンにしたところ、デザイナー同士で、「このデザインに書き文字が欲しいけれども、私は苦手だから、この部分だけ〇〇さんに頼もう」ということを自主的にやり始めたんです。
それまでは個人戦だったのが、チームとして案として制作したデザインの採用率を上げることに意識が向いたわけです。みんなで全体の採用率を上げるためには、自己開示をして、協力し合って、でこぼこを補い合ったほうが採用率上がるよね、と。結果的に、採用率は大幅に上がりました。
そうしたことから始まって、今では女性の管理職比率は4割ほどにまで上がり、東京都の女性活躍推進の大賞もいただきました。
女性活躍は、それ自体が目的ではない
私が社長に就任する前は、企画部門で制作した商品に対して、先代の父が最後に出てきて「文字は赤がよい」と言うと、全部ひっくり返って赤に決まっていました。「赤にしたら台無しなのに」とデザイナーさんが思っても、権力のある人の意見は強いものです。私は、それをやってはいけないと強く思っています。
つい先日、他社さんが見学にいらしたとき、当社の社員が「会社に何を求めますか?」と質問を受けました。彼女は、「私たちが起案をして、私たちが変えていくので、会社に求めるという言い方がよくわかりません。会社は誰ですか?」と言ったのを聞いて、私は嬉しかったです。
会社が一方的に整備した制度ではうまくいきません。女性たちから自主的に意見が出て、モデルができてくることが大切です。今では、営業会議に女性のデザイナーが出てきます。「この依頼書をこう改善したほうが、絶対に採用率が上がると思うんです」「商談のときに私たちを呼んでくれれば、違うタイプの2人がそこで2案出せます」と提案してくれています。そのように主体的に動いて、「会社の経営は変えられるんだ」「自分にはそういう力があるんだ」と思えるところが一番大事で、制度を与えている間は駄目だと思います。
女性活躍は、それ自体が目的ではありません。今は男性の社員さんも育児休暇を取っていて、もちろん応援しています。それぞれが育休明けになると、生活者のプロになって戻ってくると思うんですよ。そういうことが、実はマーケティング的な視点で会社にもプラスになり、女性が活躍できる会社になるためには、非常に重要だと考えています。
【執筆】遠藤光太