がんに罹患した社員を「社員全体」で支える。“保険会社ならでは”の人事制度|ライフネット生命保険
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働き方の多様化が進むいま、「オフィスか、家か」「仕事か、プライベートか」といった二元論で考えを巡らしても、一律の答えは出てきません。タイミングに応じてどちらの選択肢も取れるようにする。そのような柔軟性のある発想が個人にも企業にも求められています。
そこで、この連載特集「働く&」では、「A or B」ではなく「A and B」を実現するための両立支援制度にフォーカス。実際にどのような取り組みをされているのかを探ります。
第4回に登場するのは、「がんと就労」の課題に正面から取り組むライフネット生命保険株式会社です。
国立がん研究センターの統計によると、2人に1人が生涯でがんを経験し、3人にひとりが亡くなるとのこと。一方で、2023年に東京都福祉保健局が公表した「がん患者の就労等に関する実態調査」には、約55%のがん罹患者が、働きながら治療を続けているというデータもあります。つまり、働く人にとってがんは、非常に身近な病気なのです。
こうした背景を踏まえ、がんに罹患した従業員の支援制度を充実させてきたのが、ライフネット生命保険株式会社です。同社が導入している独自の制度や、がんにまつわる民間プロジェクトについて、人事総務部担当部長の篠原広高さんにお話を伺います。
がんに罹患した社員を「社員全体」で支える
ライフネット生命保険が導入している「ダブルエール休暇」「ダブルエール手当」、そして「ナイチンゲールファンド休暇」は、それぞれどのような制度なのでしょうか。
篠原さん
「ダブルエール休暇」は、がんに罹患して休職した従業員に対し、最大12日間の特別有給休暇を復職後に付与するものです。
「ダブルエール手当」は、通院や体調不良での休み、治療に伴うタクシー代などの経済的負担を補うため、休職から復職後の6か月間にわたって毎月5万円を支給するものです。
また「ナイチンゲールファンド休暇」は、本人や家族、パートナーの病気やけがの看護を目的に、法定の年次有給休暇とは別に、年3日付与する特別有給休暇(ナイチンゲール休暇)の未使用分を、従業員が会社に寄付して積み立て、がん(上皮内新生物を除く)に罹患した同僚に贈る制度です。利用者には、入院治療に向けた準備期間として10日間分を付与しています。
「ナイチンゲールファンド休暇」は、とくにユニークな制度ですね。
篠原さん
そうですね。「たくさんの人から少しずつ集めたお金を、困っている人に届ける」という保険の相互扶助の考え方に基づいた、生命保険会社らしい制度だと思います。ナイチンゲール休暇を有効に活用している社員も多いのですが、一方で使われないままになる特別休暇もあるんですよね。それらをうまく活用することで、がんに罹患した社員を社員全体で支える仕組みが実現できています。
これらの制度は、どのような背景のもとに生まれたのでしょうか。
篠原さん
私たちの事業の中心は保険商品の開発・提供です。2017年頃にがん保険を新たに開発する際に、がん経験者の方にヒアリングを重ねたところ、がんに罹患された方の多くは、経済面だけでなく仕事と治療の両立に悩まれていることがわかったんです。
がんは「見つかったら働けなくなってしまう病気」と、ネガティブなイメージを抱いている方もいらっしゃるかもしれません。しかし実際には、働きながら治療を続けている方も少なくありません。生命保険商品の開発・提供だけでは解決しきれない「がんと就労」という課題にどう対処できるかを考えました。
この問題に取り組む「がんアライ部」という民間プロジェクトを立ち上げたのもそのひとつです。一方で自社の制度・環境に目を向けると、制度や取り組みが十分ではないと気づかされたんです。そこで、がんアライ部の活動で得た知見も取り入れつつ、がん治療と就労の両立に関する制度づくりをはじめました。
「退職しなくてもいいと思えた」制度利用者からの声
制度は具体的に、どのように設計したのでしょうか。
篠原さん
他社の制度なども参考にしつつ、労務を長く担当していた人事担当者を中心に組み立てました。とくに意識したのは、「働きながら治療が続けられること」「復職したときにサポートが受けられること」の2つです。
後者に関しては、がん罹患者にヒアリングした内容やリサーチ結果をもとに、どのようなサポートが必要かを考えていきました。がんを治療しながら就労をしていくのであれば、病気と長く付き合っていくことも想定されます。入院や手術などを経て、罹患する前と同じように働くことはなかなか難しいでしょうし、体調にも波があります。
加えて、通院や体調不良などが続くと休暇を使い切ってしまうこともありえます。結果的に無給の欠勤が増えてしまうことになり、経済的に苦しい状況になりかねません。そこで、「ダブルエール手当」で月5万円の手当の給付を決めました。給付期間は復職後の6か月間に限定されますが、復職しはじめの不安な時期を経済面でもサポートしたいと考えています。
実際に制度を利用した従業員からは、どのような反響がありましたか?
篠原さん
以前この制度を利用した社員は、がんだと告知を受けたとき「会社を辞めなければいけない」と直感的に思ったそうです。
ただ偶然にも、その社員は告知の3日前、有識者を招いて実施した「がんと就労」に関する勉強会に参加していました。それを思い出して人事担当者に相談してみたところ、がん治療と就労の両立支援制度があると知り、仕事を辞めなくてもよいと思えたと言っていました。
また、がんの罹患で非常に多くの悩みが生じたものの、「働くことに関しては悩まずに済んだので、治療や生活面のことに集中できた」とも話してくれました。
制度の周知はコミュニケーションでカバー
人事制度の社内周知のために実施していることはありますか?
篠原さん
社内のイントラネットに制度についての記載はありますが、自発的に見に行く従業員は多くないので、人事担当者が社内に広く伝える努力をする必要があると考えています。
制度を利用した従業員のケースもそうですが、多くの従業員が困ったときは人事担当者にまずは相談してみようと思ってくれています。また、人事が社員の異変を察知しやすい仕組みもあります。
そう思える理由は何でしょうか?
篠原さん
当社では、直属の上司とメンバー間での1on1を月1回程度実施しています。役員とメンバー、人事とメンバーとの1on1もそれぞれ半年~1年に1度のペースで実施しています。
上長には面談の記録を残してもらっていて、その内容から人事が対応したほうがよいものについて察知しやすくなっています。万が一上司には言いづらいことがあっても、役員や人事に話せる機会があることがセーフティーネットになっています。
そういった複線的なコミュニケーションのラインがあるので、一つひとつの制度の周知には改善の余地がありますが、コミュニケーションの総量でカバーできている状態だと考えています。
従業員は現在200人ほどとお聞きしていますが、それほどの規模の企業で社員一人ひとりと細やかなコミュニケーションを取ろうとすると、人事担当者にも負荷がかかりそうです。
篠原さん
もちろん、楽ではありません。ただ、社員一人ひとりとコミュニケーションする時間を確保し、より働きやすくて成果の出しやすい環境を整えられるように支援することが人事の役割だと思うんです。そういった時間を確保できるように、業務を効率化したいと思いますし、人事だけでなくコミュニケーションを大切にしている社員が多いのは、当社のカルチャーですね。
まずは「検診のリマインド」から
先ほどの話にもあったように、貴社が参加している民間プロジェクト「がんアライ部」では、勉強会やセミナー、さらにはアワードの開催などを通じてがんの治療と就労の両立支援に関する啓発活動を展開しています。プロジェクトの実施によって、社内に何か変化はありましたか?
篠原さん
ライフネット生命は保険会社として、社会のニーズの変化に積極的に対応してきました。2015年に、同性パートナーを死亡保険金の受取人に指定できるようにしたのもその一環ですし、ビジネスを通じて社会を少しでもよくしていきたいという思いがあります。
とはいえ、ビジネスでは解決できないこともあります。手が届きにくいことは民間プロジェクトを立ち上げるなど、社会活動を通じて解決できればと考えています。この「ビジネスを通じて知りえた社会的な課題を、ビジネスを越えて支援する」ことを選択肢にできるのは、当社の特徴だと思います。
「がんアライ部」の活動に携わることは、“社会のためになる”という意義ややりがいを感じやすいと思います。それが「この会社で働く」理由の一つになっている人もいます。
がんに罹患した従業員をサポートしたいと考えつつも、実際にどのような制度を設ければよいのか悩んでいる人事担当者は多いと思います。企業がまずできることには、どのようなことがあるのでしょうか。
篠原さん
がんアライ部の活動で、治療と就労の両立支援に関する制度や風土を表彰する「がんアライアワード」を実施しています。各社の取り組みを事例集という形でウェブサイトに公開をしているので、それが参考になると思います。
たとえば、がんに罹患された方からは、「有給を半日単位や時間単位で取れるようにしてもらえるとありがたい」という意見を聞きます。病気や怪我、あるいは育児や介護などで、急な中抜けが必要になる方に喜ばれる制度です。罹患者に限らず広く従業員を支えられる制度なので、未導入の企業はまずは検討したいところです。
また、健康診断の受診に関するリマインドを欠かさないことは、社員の健康を守るうえで重要です。一次検診はもちろんのこと、二次検診の受診率100%を目指したり、未受診の従業員に上長・役員からメール・面談を行ったりと力を入れている企業もあります。
より先進的な事例では、がんに罹患された従業員同士でコミュニティをつくり、情報共有・発信を促しています。
自社の実態と照らし合わせて、参考になりそうな企業の取り組みを選んで、まずは小さくはじめてみるとよいと思います。
最後に、「社員の仕事とがん治療との両立支援をしたい」と考えている企業の人事担当者に、メッセージをお願いします。
篠原さん
人事は担当する業務の幅が広く、目の前の業務に向き合うことで精一杯の日もあるかもしれません。私もその一人ですが、「がんアライ部」の活動を通じて、通常業務に加えて、治療と就労の両立支援に関する制度設計や社内横断のプロジェクトを立ち上げている方々の存在を知り、大きな刺激をもらいました。
規模や文化が違う他社の制度や風土をそのまま導入するのは難しいかもしれませんが、他社の事例を大いに参考にして、小さな1歩を積み重ねていきましょう。
取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代